再掲「心とかたちについて」

2010/08/01 20:53

W.Dハミルトンというイギリスの学者をご存知でしょうか。ご存知ではない。では、イソップの次の寓話はどうでしょう。

ある日、手と足と口が相談してストを決行した。彼らの言い分はこうだった。足:俺はいつも忙しくあちこち歩き回って食べ物を探してやっている。手:俺だってそうだ。足が見つけた食べ物を俺は口に運んでやっている。口:俺は、その食べ物を一生懸命咀嚼して消化をたすけてやっている。
全員:なのに、胃袋の奴ときたら、ただ、おいしいものを食っているだけじゃないか。

というわけで、彼らは胃袋を妬んでストを決行したのですが、その結果、胃袋だけじゃなく、彼ら自身も栄養不足で元気が出なくなってしまった、という話です。

これの寓意は極めて明瞭です。
しかし、わたしは、この話を次のように解釈したい。つまり、京都大学の山中博士が実現したIPS(Induced Pluripotent Stem)細胞が示すとおり、ヒトゲノムにおいても受精直後から卵はそれぞれの臓器や血液の成分へと、役割分担しながら分裂増殖をしていきます。手や足や口、胃袋になっていくわけです。これらは姿や機能はまったく違っていても同根というか、元はまったく同じものなのです。誰も好き好んで自分の顔を殴らないのと同じで、互いに争うような関係ではありません。ですから、たとえ幼稚園児であってもこのイソップの話に最初から何かおかしさを感じるに違いありません。

さて、ハミルトンについてですが、彼は、それまでまったく謎であった蜂の行動について大発見をしています。ご存知のように、蜂は一匹の女王蜂を中心に働き蜂や兵隊蜂など様々な役割をもった蜂がいて、みなが協力し合って一つの社会を形成しています。
このことが種の起源を上梓したダーウィンにも不思議に思われた。なぜなら、働き蜂や兵隊蜂それ自体は生殖することができない。自分自身の遺伝子を残すことができないのです。したがって、彼らの行為は女王蜂に対する献身、自己犠牲ではないかと考えられた。殉教や献身を尊ぶキリスト教圏の国のことですから、蜂や蟻にさえ自己犠牲の精神性があるということは非常に受け入れやすいことであったかも知れません。

しかし、科学的な見地からは、そのような、いわば利他的性質が遺伝する理由とはいったい何だろうか。ハミルトンは、女王蜂も働き蜂も兵隊蜂もすべてが全く同じ遺伝子を持っていることに着目しました。つまり、蜂や蟻は、ちょうどわたしたちの手足や口や胃袋などが幹細胞から分化して作られたのと同じように、それぞれが機能を分担すべく作られていると考えたのです。

ずいぶんと枕を振ってしまいましたが、この長文の首題は「心とかたち」です。上の文章で、わたしは、遺伝子を心に喩えたつもりです。あるいは、わたしは、心とは遺伝子も含め何か設計図の様なものであると考えています。その設計図に基づいて作られた「かたち」、それが私たちの肉体であり、建物や飛行機、船、自動車、そして国家であろうと考えるのです。
これには大いに反論があることと思います。では、日本人が重んじる礼や古式、儀式はいったい何なのか。あれも立派な形ではないのか。あるいは、心そのものではないのか、と。

わたしは、実はここに非常に興味深い哲学的命題が含まれているように思うのです。すなわち「コギト・エルゴ・スム」です。われ思う、故に我ありとデカルトは言いました。所詮、一元論か二元論かと論じてみたところで、肉体と精神とは切り離せるものではありません。それは、上に述べた遺伝子と生き物という存在とが切り離せないのと同じです。あるいは、物理学の説く不確定性原理のように、量子性と波動性というジレンマが物質の持つ二面性の、単に表か裏かの違いでしかないように、本質的に切り離せるものではないのです。
したがって、仰るとおり儀式や祭祀、それに日本古来の伝統や文化は形であると同時に心でもあると考えます。

わたしは、また最も日本的な命題がこの中にあると考えます。なぜ日本か。それは皇統の2600年を超える歴史にあります。皇統という、たった一人の指導者の下にこれほどの長い歴史を築き上げた国家などかつてどこにも存在しなかった。これほどまでに民に敬われ尊ばれる現実の指導者が治める国家などどこにもなかった。
言い換えれば、皇室という一つの心の下にわたしたち日本民族は形作られてきたのです。
わたしは、日本を蜂の社会に喩えるつもりはありません。ただ、日本人の文化、伝統の基本には間違いなく皇室があり天皇への信仰があったと考えます。

わたしは岡田外相の轍を踏もうとしているのかも知れません。しかし、さらに言わせてもらうなら、それは天皇陛下が神人一体の現人神で在らせられること、その信仰の上にこそ成り立ってきたものであったはずです。現人神とは、肉体と精神が二元論的に切り離せないと同様、神であると同時に人である存在のことです。わたしは、ここにもコインの裏表のような、決して分離できない二面性を強く感じます。

三島由紀夫は、「英霊の声」の中で226事件の英霊に次のことを言わしめています。

「しかし反逆の徒とは! 反乱とは! 国体を明らかにせんための義軍をば、反乱軍と呼ばせて死なしむる。その大御心に御仁慈はつゆほどもなかりしか。
こは神としてのみ心ならず、
人として暴を憎みたまひしなり。
鳳輦に侍するはことごとく賢者にして
道のべにひれ伏す愚かしき者の
血の叫びにこもる神への呼びかけは
ついに天聴に達することなく、
陛下は人として見捨てたまえり、
かの暗澹たる広大なる貧困と
青年士官らの愚かなる赤心を。
わが古き神話のむかしより
大地の精の血の叫び声を凝り成したる
素戔嗚尊は容れられず、
聖域に馬の生皮を投げ込みしとき
神のみ怒りに触れて国を遂われき。
このいと醇乎たる荒魂より
人として陛下は面をそむけ玉いぬ。
などてすめろぎは人間となりたまいし。」
と。

そしてまた。神風特攻隊員の英霊には、

「われらは兄神たちの生きた日とは、あまりにちがう日々に生きていた。日本の敗色は濃く、われらの祖国はすでに累卵の危うきにあった。巨大な太陽の円盤は沈みかかり、一つの国民が精魂こめてつくり上げた精神の大建築、その見えざる最美最善の神殿は、檜の香も衰え、壁は破れ、今しも頽れおちて土に帰そうとしていた。それはわれらの祖先から、受けつぎ、ひろめて、築き上げた、清らかな巨大な宮居であり、そこに住む者は神人の隔てなく、人も身も潔めてここに入れば、ただちに神に参ずることのできる場所であった。


・・・もしすぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため、何ゆえ陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉わざりしか」
と語らしめています。

このごく短い小説の中で、三島は明らかに先帝陛下を批判しています。陛下に対して憤怒を露にさえしています。
私は、高校生だった頃に、新潮社の三島由紀夫全集の解説の中で「僕は、書斎の中では鬼のような形相になっている」と母親に話したというエピソードを憶えています。恐らく、そのときに三島はこれを書いていたのではないかと今になって思い当たるのです。

それはともかく、三島は、この小説の中で天皇のいわゆる二面性、すなわちザインとゾルレンを明らかにしています。
天皇が神でないことは現代人なら常識的に分る。しかし、そんな当たり前のことで天皇や皇室を否定する幼稚な議論を三島がしかけているわけでは決してない。

三島は、この日本の文化を「一つの国民が精魂をこめてつくり上げた精神の大建築」と言い、「そこに住む者は神人の隔てがなく、身を潔めてここに入れば、ただちに神に参ずることができる」と述べています。天皇の神性は架空のものであるにしても、「その辛く苦しき架空」を天皇陛下自らが護らねばならなかった、とも批判しています。

その架空を、卑俗な喩えで恐縮ではありますが、わたしは銭金と同じようなものではないかと捉えます。貨幣は、誰もそれに価値があると信じないならば、その通り何の価値もない。ところが、誰もが価値があると信じているからこそ、現にあのようなたかが紙切れに皆が血眼になっている。

少なくとも、三島にとって天皇とはそういう存在であり、決して自ら貶めてはならない存在であった。そして、戦後日本の退廃、没落は、天皇人間宣言をしてしまった、まさにそのときから始まったのだと、三島は英霊に語らせているのです。
戦後、確かに憲法アメリカのペンキによって塗り替えられ、天皇は象徴となってしまった。しかし、わたしは、天皇が現人神であるなしにかかわらず、戦前においても日本国民の統合の象徴であったことに変わりはなかったと考えています。

三島は、このことについて以下のように述べています。
「大統領とは世襲の一点において異なり、世俗的君主とは祭祀の一点において異なる天皇は、まさにその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、『象徴』たる特色を担っているのである」と。

したがって、仮に世襲が厳密に護られ皇統の連続性が保たれたとしても、その祭祀が国民のために行われなければ、もはやその象徴たる特色を喪失すると述べていると解釈することもできます。
天皇という抽象的概念は大和心そのものであり、それが形となって顕れたもの、それが天皇陛下であり執り行われる祭祀であろうと、わたしも考えるのです。