太陽の賛歌2

2010/06/21 22:16


つい先日、太陽の偉大な力について書いた。いや、太陽の偉大な力など、わたしなどには到底書き尽くせない。

地球はその偉大な力の21億分の1を恩恵として受けていると書いた。この力が10億分の1であれば、地球は灼熱地獄となり、わたしたちは生まれてはいなかったであろう。50億分の1であれば、氷に閉ざされていたであろうから同じである。

人間原理を持ち出すまでもなく、太陽は、わたしたちの生存に過不足のないエネルギーを注いでくれているのである。

この地球に注がれるエネルギーの大きさを太陽定数という。太陽定数は、1366W/㎡である。Wは電力の単位であると同時に熱量の単位でもある(1W=1J)。
つまり、1㎡の太陽光パネルソーラーパネル)を自宅の屋根に設置して発電する場合、このソーラーパネルの光→電気変換効率が100%であれば、1.3kWの電力が得られる。もちろん、これは計算上の話であり、ソーラーパネルの変換効率、大気や塵埃、ミストなどによる吸収や反射などを考慮すると、おそらくこの数値は数分の1になってしまうことであろう。

屋根の上に太陽光による給湯システムを備え付けた場合も同様である。1リットルの水の温度を1℃上げるのに必要な熱量は約4.2kJ(kW)である。したがって、お風呂の湯を考えた場合、200リットルの水を20℃から41℃にするには4200×4.2=17680kJが必要となる。これは、1㎡の太陽光温水器を使えば、17680÷1.3=13600(秒)となり、4時間足らずで所要のお湯が出来るという計算になる(勿論、効率などを度外視した場合)。
古来より瓦屋根はただ雨を防いでいるだけであるから、これに太陽光発電あるいは給湯システムを設置することは大変画期的かつ合理的なアイデアには違いない。

しかし、わたしは広大な土地にソーラーパネルを設置して発電するのは、はたして正しいことなのかと疑問に思う。そこがまったく不毛の土地なら構わない。だが、緑の生い茂る可能性のある土地であれば、そこを灌漑し土地を肥沃にし植物の種を蒔くほうが良いのではないか。なぜなら、ソーラーパネルは、けっして生態系を豊穣にはしないからである。

今、地球上の生き物は年間に何万種もが絶滅しているという。これは、まったくの異常事態である。かつて、このような種の絶滅は、巨大な隕石の落下でもなければ起こりえなかった。
それが何故このようなことになってしまったか? 答えは明々白々である。人類が存在するためである。いや、人類が我が物顔にこの地球の富を独占し、大いなる共生関係を破壊してきたからである。
ジャングルの樹を切り倒し、下草を焼き払い、昆虫や鳥やげっ歯類や猿などの住処を奪ってきたからである。
いったいいつまで、こんなことを続けるつもりなのだろう。絶滅した種は二度と蘇ることはない。また、このような状況で新しい種が生まれる可能性は極めて少ない。

太陽光発電も良い。風力発電地熱発電も良いだろう。しかし、地球の砂漠化を防ぐことのほうがもっと大事ではないか。地球温暖化の防止などのためではなく、真の共生社会実現のために、もの言わぬ植物をこれ以上殺さないことが必要なのではないか。そうでもしないと、いつの日か気がついてみたら、人間以外には誰もいなくなってしまっていたということになりかねないと思うのである。