犬と猿2

2011/01/05 20:16


去年の暮れに郊外型量販店のペットショップで紀州犬を連れた子供たちに会った。紀州犬は、真っ白な細身の体型だったが、これの気性がまた荒くて、ちょっと頭でも撫でてやろうと近づくと、歯を剥き出して威嚇してきた。
子供達に聞くと、まだ8ヶ月の雌だと言う。これは流石に狼の血の混じったハイブリッドだと感心した。
よく言われるように、狼の血の混じった犬というのは主人以外の人間には決して尻尾を振らない。紀州犬しかり、チャウチャウしかりである。ハイブリッドでさえこの通りなのに、純粋な狼であれば決して人間には慣れないのではないか。わたしは以前にヴェルナー・フロイントという人の「狼と生きる」を読んだし、またマーク・ローランズの「哲学者と狼」という本を今読んでいる。それらから得たわたしなりの結論を言うなら、狼は決して人には慣れない。だから、人が狼に慣れるより方法がないのである。

そのローランズがこの本の中でたびたび強調しているのは、私たちは猿(Simian)の一種であるということである。進化論の洗礼を受けた人間であれば、大抵はこのことに疑いを持たないであろう。しかし、この哲学者が言っているのは勿論そういうことではない。
彼は、次のような実験結果を示し、わたしたち人間は明らかにこの血を継ぐものであることを説いているのだ。そしてこれは、彼が一匹の狼を友に11年間暮らしたことと無縁ではない。

その実験というのはごく簡単なものである。被験動物はチンパンジー。仮にその一匹をAとする。実験者は、まずAにメタル製のコンテナにバナナを入れたところを見せる。蓋を開けたままである。次にチンパンジーBが現れる。すると、Aはどういう行動を取るか。Aはコンテナの蓋を閉めるのである。蓋を閉めて数メートル離れてそこに座り込む。すると、Bはその場を立ち去るのだが、実は木の陰に隠れてAの様子をじっと見ているのである。それを知ってか知らずかAはコンテナの蓋を開けバナナを手に取る。Bはそれを見てAに詰め寄るとバナナを奪う。
ローランドは、この実験をお互いの腹の探りあいとして捉えている。つまり、まず第一にAは、Bがコンテナの中のバナナに気づかないように蓋をして隠した。つまりAを騙そうとしたのである。次にBは、Aが何か自分を騙そうとしているに違いないと踏んで木陰に隠れた。Aは、Bの様子に、ひょっとしたらBは、自分が彼を騙そうとしていることに気づいているかも知れないと思う。そしてBはさらに、Aのそのような思いさえ知っていたと考えられる。

狼と11年間も生活を共にしたローランズが説くのは、これが猿の、ひいてはそのなれの果てであるわたしたち人間の基本であるということである。つまり、わたしたち猿族の特徴はschemeとlieの二つ。策略と嘘ということなのである。