狼について考える

2012/11/14 12:48

先にローランズは、ブレニンと走っているときにまずそのフィジカル面での狼の美しさに魅了された、と書いた。ブレニンの走りは、まったく犬とは違った上下の動揺のない、滑るような、宙に浮いたまま滑っているような美しいものであるのに対し、simianの末裔である自分の走りは審美的に見て非常に劣ったものに思えた、というふうに書いている。

人の狼に対する憧れというのは、わたしは決して珍しいものでも不思議なものでもないと思うのである。ローランズによれば、Lupinの語源はギリシア語の光に由来するという。

狼には確かに二面性がある。猿の末裔である人から見れば、彼らは恐るべき影のような存在である、と同時にまた光の面をも持っている。
おおかみは大神に通じる。だとすると、西洋人と同じようにわたしたち日本人の祖先もまた、すでに絶滅してしまった日本狼にたいして大いなる尊敬の念をもっていたことは間違いない。

ローランズは狼と犬の違いについて次のように書いている。Breninがまだcub(仔)であったころから、ローランズのラグビー仲間であるマットというフォワードの選手の飼っているRuggerという名のピットブルがしきりにBreninに喧嘩をしかけてきた。Ruggerはこの種の犬にしては大変に大きく体重が50kgほどもある。そのRuggerに地面に押し付けられてもBreninは、決してキャンとは哭かない。それどころか、唸り声をあげて自分の何倍もあるRugeerを威嚇しようとするのだ。

そのBreninも18か月を過ぎたころにはRugger以上の体格を持つ堂々たる狼になった。そんなある日、ローランズとその同僚であるMatt
が試合前のウォーミングアップをしていて、ちょっと目を離した隙に、Ruggerが首輪を抜いてBreninに向かってきた。
Breninは身じろぎもせず、ただRuggerが接近するのを静かに待っている。そして、その瞬間まさに電光石火の速さでRuggerの背後に回り込むや否やRuggerの耳を噛み千切った。たちまちRuggerは血まみれになった。
ローランズが異常に気が付いて慌ててBreninを引き離そうと彼の尻尾を握ったが、それが間違いで一気に形勢が逆転し、RuggerがBreninの喉に噛みついた。こうなるともう、ピットブルの本領発揮で鼈のごとく殴ろうが蹴飛ばそうが雷が鳴ろうが離さない。
結局、Ruggerの飼い主であるMattの機転でバケツの水をかけてようやく二匹を離すことができた。

ローランズは、狼と犬の違いは犬と子犬の違いのようなものだ、と述べている。たとえば、犬も狼も遊びの好きな動物である。しかし、その遊び方は全く違うのだという。
犬の場合、棒切れやフリスビーを投げてやれば、それを遊びと判断して追いかけるのが普通である。ところが狼は、「えっ?それっていったい何の真似なの? あんた、そんなに棒切れが欲しんなら自分で取りにいけば・・・。そもそも、棒切れが欲しいんなら、なぜわざわざ投げる必要があんの?」といった態度をとる、のだそうだ。
これ一つとっても狼と犬とでは、大人と子供ほどの違いがあるということが分かる。

狼にとっての遊びとは、たとえば中学生くらいの子供がボクシングやプロレス技を掛け合って遊ぶのに似ている。つまり、喧嘩の一歩手前のような取っ組み合いをするのである。しかもそれは、傍から見ていて本当の喧嘩なのか遊びなのかほとんど見分けがつかない。ただ、本気で喧嘩をする場合は奇妙なくらいに静かで、決して吠えたり唸ったりはしない。そして彼らが本気で喧嘩をする場合、それは即デイザースターすなわち一方の死につながる。

ローランズはSimianとLupinの性についての違いについても次のように明確に語っている。
狼の場合、発情期は年に一回のみである。しかも、生殖が可能なのはアルファ雄とアルファ雌の間だけなのだ。もちろん、狼はパックアニマル(pack-animal)であるから、多くの群れによって社会的な生活を営んでいる。この点では猿と大きな違いはない。違いがあるとすれば、それは結局、生殖のあり方の違いということになる。

ローランズは、アルファ以外の狼の雄も雌も性の喜び(pleasure)を知らぬまま生涯を終えると述べている。しかし、そのこと自体には各個体としての狼に不満があるわけではない。これをローランズは、飲酒者と非飲酒者との対比で述べているのだが、これは大変に理解しやすい。つまり、生殖に与れない狼というのは、いわば下戸のようなものだというのである。下戸が酒を飲めなくてもそのことに不満をもたないように、生殖に与れない狼にも特別な不満はないというのである。

さて、この続きはまた改めて・・・。