鎮男36

2012/06/08 22:32


彼女の記事を発表する予定だった週間「見聞録」の編集長古川も、彼女の死と同時刻に自社ビルの屋上から飛び降りて自殺した。その死に他殺を思わせるものは一切なく、家族宛の遺書には人生に疲れてしまったというような旨の文言が認めてあった。

私は、明彦の顔を見るのが忍びなかった。それでも盗み見るように見ると、それは、いつもの冷静でにこやかな彼の顔ではない。青白い、日本刀のように鋭利で冷たい、それでいて激しい爆発力を秘めた怒りが宿っていた。私は、背筋が寒くなるのを覚えた。

そして、さしもの勘の鈍い私にも、とうとう明彦と鎮男の企みがありありと見えてきた。彼らは、最初からこれが目的だった。二人とも良也に対する復讐を果たさんがために結束し、この私をも巻き込んだのだ。

しかし、ほんとにそれだけだろうか。

私は、いま見せ付けられた良也という大悪党の所業に真の怒りを覚えた。それは恐らく、洗脳を解かれた会場の信者たちも同じ気持ちであろう。なぜなら、会場が煮えたぎる鍋のような興奮と熱気に包まれていたからである。

私は、このような男は、――過去の悪行だけでは物足りず、この世界をこれから自分の思うままに隷属させようと異空間から化け物まで召喚してしまったこのような男は、必ずこの手で葬り去らねばならぬという義憤を感じていた。いや、葬るなどという上品な感情ではない。このような男には釜茹での刑をもってしても足りなかった。

鎮男と明彦も結束し立ち上がった。しかし、それは単に復讐を遂げるためだけのものではなかったはずだ。彼らのような高貴な男たちは、決して私怨を晴らすためだけに他人を巻き添えにしたりはしない。私にはそれがよく理解できた。この男を始末しなければ、人類の未来に大きな闇が落ちるのだ。

しかし、やはり良也のような化け物を滅ぼすのは並大抵のことではなかった。空中に散じた良也の紫色の霧の粒子は、今何かの形に変容を遂げようとしていた。

良也は、異空間に住む異形の化け物たちからの支援を受けていた。それは、鎮男が言ったとおり、この世を支配するために良也がその腐った魂と引き換えに得たものだった。われわれのすぐ隣に存在する異空間。それは、明彦がその論文で預言した無数にある空間の一つであり、人間の心と緊密に繋がっていた。そこから良也は援軍を得ていたのである。

やがて紫色をした光の粒は、巨大で紫色をした塊、サターンのような姿をした固形物へと凝固していった。その高さは5メートルにも達し、人間の下半身に蟹のような足が6本もある胴を乗せた姿をしていた。
会場はパニックに陥った。鮮やかな真っ赤な炎が列を成し、叫喚を発しながらバックドラフトのように一斉に避難口へと向って突っ走り始めた。

怪物は、その逃げ惑う信者たちを背に、くぐもった象のような低音で私たちに向って声を発した。
「キサマラ」その声は、そう言っていた。「ヨクモオレヲコケニシテクレタナ」
そして、次に
「ジロー」と叫んで、一番前の席に一人背中を丸めて座っている小柄な坊主頭の男を、その腕の一本で指した。それは、あの売春婦をコンドーと一緒に川に投げ捨てたジローだった。
「オマエハ オレトイッショニ ジゴクノソコマデ ツイテクルノダ」
ジローは、もはやあのころのおどおどしたガキではなかった。立派な悪党になっていたのだ。
そのジローの姿もすぐに霧のように蒸発し始め、やはり紫色をした帯状のオーロラとなって天井にまで上り詰めた。かと思うと、やがてそれが粒子になって舞い落ちてきて磁石に吸い寄せられる砂鉄のように固まり、ついにもう一匹の化け物になった。それは、紫色をしたヒトデが人のように立っている姿をしていた。ぬめぬめした蛞蝓のような粘液質の表皮を持ち、その5つの星型の縁の部分では、深海魚が放つ光のような紫色した電光がサイクリックに点滅していた。