レ・ミゼラブル

2013/01/15 16:35


小学校の2,3年ころだったか、紙芝居でジャン・バルジャンの話を知った。それ以来、この悲惨な物語を忘れたことはなかった。世の無情を知る最初の経験だったかも知れない。

その不朽の物語が映画化され、しかもミュージカルという形になって現れた。これを見ずして生涯を終えられようか、というものだ。
これは本当にすばらしかった。大の男が涙に咽ぶほどに感動を覚えたのだ。周囲からもすすり泣きが聞こえてきた。

この正月、おおかみになってやると誓ったわたしの決心は早くも崩れ落ちそうになった。そうだ、人類はたしかにサルの末裔には違いないが、これがあった。
これとは、至高のレベルにまで昇華された愛である。その愛のことを、わたしは他の愛と区別して何と呼ぶか知らない。
ある人はそれを人類愛と呼ぶのかも知れない。あるいは、ある人はまたそれを神への愛と呼ぶのであろう。
しかし、それに何という名を付けようと構わない。それは、やはりそれ以上はない、至高のものであることに違いはないからだ。

ビクトル・ユゴーは、見事に人間賛歌を歌い上げた。だが、ジャン・バルジャンが真に存在したとして、彼の生涯とはいったい何であったのだろう。
人間とは、蜉蝣と何ら違わない死すべき存在である。この久遠の宇宙と比べるべくもない、一瞬の存在である。その一瞬の生に刹那の幸福を求めることの何が悪いというのだろう。

ジャン・バルジャンの生涯とは、結局はこの刹那の幸福を忌避してさえも、他者の幸福を購おうとするものではなかったか。
そうだとすると、これはまったくサルから受け継いだものではない。

もちろん、ビクトル・ユゴーキリスト教的な愛の影響を受けていたことは疑いない。だから、この物語がかくも西洋の人を魅了するのだ。いやクリスチャンばかりではない、多少なりともキリスト教を解する人々の心に訴えるのだ。

いやぁ、このミュージカルには実に様々な愛が歌われていた。祖国愛、同胞愛、恋愛、献身、そして、あくまでも職務を貫こうとするジャベールにさえ職業に対するひたむきな愛を見つけることができる。
結局、ヒトというのは愛なくしては生きてはいけない生き物なのだ。