「さて死んだのは誰なのか」つづき

2016/03/11 15:56


「未亜へ贈る真珠」について、もう少し踏み込んで考えてみよう。

航時機の中では、10年が1時間に相当する。仮に未亜が60年後に死んでしまったとしても、マシーンの中の男にとってはわずか6時間の出来事である。

一方、未亜は外側の世界で現実的な生活を送っており、実は、この物語の語り部である「わたし」と結婚していて孫さえいるのである。

わたしがこの小説を惨い悲恋の物語と感じ、また「さて死んだのは誰なのか」と思うのはなぜか。

それは、未亜は結婚したとはいえ、生涯をかけて若い姿のままの男を思い続けながら、現実に死んでいったわけである。これは、先にも書いたが、若くして恋人を失ったヒロインの姿に還元できよう。

一方、マシーンの中の男は、自分とは添い遂げられないままに老い、そして死んでいった未亜の変化を超高速で見続けていたのである。彼には、未亜の老いと死は分かるが、その余のことは知るべくもない。子がいて孫がいることは想像できても、それを現実に知ることはできないのである。

これは、次のような図式に置換できないだろうか。
つまりこれは、現実の世界において、最愛の女性と一緒になれないまま相手に先立たれてしまった男の姿を描いたものである、と。この場合、もちろん男の方も齢をとっている。そして、その訃報を聞いたとき、おそらくこの男の心も死んでしまったに違いない、とわたしは思うのである。