Jack Daws6

2013/02/04 13:16


 彼女は魅力的な男の連れと一緒だったが、その男は余り彼女には関心がなさそうだった――恐らく彼女の亭主なのであろう。ディーターは彼女と話がしたいがために写真を撮ってくれるように頼んだのだ。彼には妻と二人のかわいい子供がケルンにいたが、パリのアパートメントではステファニーと生活していた。しかし、それが他の女と遊ぶ妨げになるわけではなかった。いい女は彼が収集している豪華な印象派の絵のようなものだ。ひとつ手にいれれば、もうひとつほしくなる。
 フランスの女は世界一美しい。いや、なにもかもがフランスは美しい――その橋、その通り、家具、陶器の食器でさえも。ディーターはパリのナイトクラブを愛し、シャンペン、フォアグラ、温かいバゲット(四角いフランスパン)を愛した。彼はリッツホテルの向かいにある伝説的なシャルベでシャツやタイを買うのが大好きだった。彼はできることならずっとパリで楽しく過ごしていたかった。
 彼はどこでこのような嗜好が身に着いたのか判然としなかった。彼の父は音楽の教授で――それはドイツ式の音楽様式でフランスのものではなかったが疑う余地のないマスターだった。しかし、ディーターには父が強制する無味乾燥のアカデミックな人生は退屈で耐えられなかった。それで、彼は、最初の大卒の警察官になることで両親を驚かせた。そして1939年、ケルン警察の犯罪情報部の部長になった。そして1939年の5月、ハインツ・グデリアンのパンサー戦車部隊がセダンでメウス川を渡河、わずか一週間で意気揚々とフランスを横断しイギリス海峡にまで及んだとき、ディーターはその直感から軍隊の委員会に入った。警察での経歴が物を言って、彼はすぐに情報部のポストを手に入れた。流暢にフランス語を話せさらには英語も話せたことから、いわばこの仕事は彼にとっての天職であると同時に、自分が情報を引き出すことによりこの戦争を勝利に導くことができるのだという深い喜びを得ることが出来た。北アフリカ戦線では彼の名声はロンメル将軍の耳にも届いていた。
 彼は必要であれば拷問も厭わずに行ったが、それよりも、よく言えば口説き落とす方が好きだった。そしてそれは彼がステファニーをものにした手でもあった。冷静に、官能的に、そして狡猾に行うのだ。彼女はかつて、びっくりするほどシックで、反吐の出るほど高価なパリの女性用帽子店のオーナーだった。しかし、祖母がユダヤ人であったため、店を失い、6ヶ月間フランスの刑務所に投獄され、もう少しでドイツの強制収容所へ送られるというところを彼女はディーターに救われたのだった。
 彼は、その気さえあれば彼女を無理やり犯すこともできた。彼女としても恐らくその覚悟をしていたろう。彼に逆らう者など一人としてなく、誰も彼を止めることなどできなかったはずだ。しかし、彼はまったく反対に、彼女に食事を与え、衣服を与え、アパートの一室に彼女の為の部屋を用意してやり、その一夜以来優しく愛情を込めて彼女を扱い、ファイデブーとラタシェワインの晩餐の後には炭火の燃える暖炉の前、カウチでとろける様に甘く彼女を誘った。
 しかし今日は、彼女は彼のカモフラージュに過ぎなかった。彼はいま再びロンメルの命を受けていたのだ。アーウィンロンメル陸軍将軍、砂漠の狐は今やB陸軍部隊の司令官であり、北フランスの防衛に当たっている。ドイツ情報部は連合軍が今夏に上陸作戦を決行すると予想していた。ロンメルは数百マイルに及ぶ脆弱な海岸線を防護するだけの兵員を持っていなかったので、柔軟反応戦略を敢行した……彼の部隊は1マイルほど内陸側に構え、必要とあらば素早くどこにでも展開できる構えだった。
 イギリス軍はこのことを承知していた??彼らもまた情報部を持っていた。彼らの対抗策は彼らの通信を混乱させ、ロンメルの動きを遅らせることだった。昼、夜を問わず、イギリスとアメリカの爆撃機が道路や鉄道、橋梁やトンネル、駅や操車場を爆撃していた。また、レジスタンスは発電所や工場を破壊し、列車を脱線させ、電話線を切断し、十代の女の子達にトラックや戦車の貯油所に砂をばら撒かせた。
 ディーターの懸案は主要なターゲットを明らかにしレジスタンスの攻撃能力を評価するというものだった。この数ヶ月、彼のパリの本拠地から北フランスまで守備範囲を広げ、眠たげな哨兵に渇を入れ、弛んだ署長に精神を注入し、鉄道の信号機制御盤、列車庫、軍用車庫、それに航空管制タワーのセキュリティーを強化した。今日、彼がここにいるのは戦略的に非常な重要性を持つこの電話交換所を不意打ちに点検するためだった。
 この交換所を通してすべてのベルリンからの最高司令が北フランスの部隊へ流される。それにはテレプリンターのメッセージも含まれており、今日ではほとんどの命令書はそうして送られていた。もしもこの交換所が破壊されようものなら、ドイツの指揮系統は骨抜きになるだろう。
 連合軍は明らかにそれを承知しており、ここを爆撃していたが限定的なダメージしか与えられなかった。これはレジスタンスにとっては格好の攻撃目標に違いなかった。しかし、そのセキュリティーといったら、ディーターの目から見れば腹の立つほどにルーズなものだった。その責任の一端は同じこのビルに居を構えるゲシュタポの影響を受けたものに違いなかった。GS(ゲハイム・スタッツポリゼイ)は国家警察であり、その構成員は彼らの能力や頭の良さでというよりもヒットラーに対する忠誠心やファッショ性を強調する者が昇進を果たしていた。ディーターはここで30分ほど写真を撮っていたが、ここの警備責任者たちが彼を無視しつづけていることに怒りを感じていた。
 しかし、教会の鐘が鳴り止んだとき、少佐の制服を着たゲシュタポの将校が一人高い鉄製の城のゲートを通り抜け彼の方に真っ直ぐ向かってきた。下手くそなフランス語で彼は「そのカメラを寄こせ」と叫んだ。
ディーターは後ろを向いて、聞こえなかった振りをした。
「ここで城の写真を撮ることは禁じられているのだぞ、このばかもの」とその男は叫んだ。「ここが軍事施設だということが分からんのか」
ディーターは彼に向き直り、静かにドイツ語で答えた。「私に気がつくまでにそんなに時間がかかったのか」
男はちょっとたじろいだ。大抵の私服の人間はゲシュタポを見ると怖気づくはずだった。
「それはいったいどういう意味だ」彼はやや気おされたようだった。
ディーターは時計を見た。「私はここに32分間いたんだぞ。その間に1ダース以上もの写真を撮らせてもらい、とっくに逃げ去ることも出来た。お前が警備の責任者なのか」
「あんたはいったい誰だ」
「ディーターフランク少佐。ロンメル陸軍元帥の個人スタッフだ」
「フランク」とその男は言った。「わしはお前のことを覚えているぞ」
ディーターは彼をじっと見つめた。「おおっ」と彼は、忘却の闇が開け黎明を見たかのように声を上げた。「ウィリー・ウェーバー