Jack Daws 2

2013/02/01 11:51


初日 日曜 5月28日 1944年


第一章

爆発の一分前、セント・セシール広場は何事もなく平和にたたずんでいた。気持ちのよい夕方で、しんとした空気が町を毛布のように包み込んでいる。教会の鐘が礼拝の者たちにさあ祈りを唱えよと重苦しい響きをたてはじめた。
 フェリシティー・クレアレットには、その鐘の音はカウントダウンのように聞こえた。
 広場は17世紀の城郭の中にある。その城はベルサイユ宮殿の縮小版といったところで、前に突き出たエントランスがあり、そこから両翼は直角に左右に広がり後方に折れ曲がっている。地下階と2階建てのメインフロアーがあり、アーチ状のドーマー窓を持つ高い屋根を持っている。
 フェリシティー(たいていフリックで通っている)はフランスが好きだった。その優雅な建築物、穏やかな気候、ゆったりとした昼食、教養あふれる人々。彼女はフランス絵画も文学もスタイリッシュな服装も大好きだった。観光で訪れた者はしばしばフランス人の排他性に気づかされるが、フリックのように6歳のころからフランス語を話していると、決して外国人扱いはされなかった。
 しかし、その愛して止まないフランスが今はもう存在しなくなっていることに彼女は腹を立てていた。ゆったりとした昼食をするにも十分な食材はなく、絵画はナチによって略奪され、こぎれいな衣装を纏った女といえばみな娼婦だった。たいていの女と同じようにフリックはとっくに色あせ形の崩れた服を身に着けていた。彼女の心底からなる願いは、もう一度あの本当のフランスがよみがえることだった。そして、それはフリックとその仲間たちが今為すべきことを為せば、もうすぐ叶うはずだった。
 あるいは、それをこの目で見ることはできないかもしれない、まさにこれからの数分間が彼女の生と死を決するだろう。フリックは決して運命論者ではなかった――彼女は生き延びたかった。戦争が終わったらやりたいと思っていることが百もあった――博士課程を修了し、子供をもうけ、ニューヨークを観光し、スポーツカーを手に入れ、カンヌの浜辺でシャンペンを飲む。だが、今まさに彼女が死の淵に立っているのだとしたら、その最後のときを、この日の射す広場で壮麗な古い建物を見ながら、そして快活なフランス語の柔らかな響きを耳にしながら死ぬことはむしろ本望だった。
 この城はこの地方の貴族の住居として建てられたものだったが、その最後の伯爵は1793年にギロチンで首を刎ねられていた。壮麗だった庭園はこの地がシャンペンの中心地であったためはるか昔にブドウ畑へと変わってしまった。建物自体は重要な電話の交換所にされていたが、それはセント・セシール生まれの大臣が決定したものだった。
 ドイツは侵攻するや否や、この交換所を既設のフランスのシステムと新しいドイツの通信ルートを繋ぎ大規模なものに拡大した。同時に彼らはゲシュタポの本部をその中に設け、2階を事務所にし、地下に牢獄を作った。