「武士道 幻想」 批判

2013/09/19 15:00

「武士道」は、わたしにとってまさに啓蒙の書であった。そこに書かれていることは、敗戦後去勢され自虐史観に陥ってしまった日本人からプライドを取り戻すものであった。誇りを失い、金銭だけが幅を効かす世に真の美徳とは何かを問いかける明治からの声であった。

日本に限って言えば、当時の封建主義がそれほど酷いものであったか、それに比し今の民主主義とやらがそれほど誇るべきものなのかという疑問を持つ良い機会を与えてくれる書でもあった。

ところが、この日本には、わたしとはまったく違う感想を持つ人たちがいるのだという当たり前の事実に気が付かされた。

その書の名を「武士道 幻想」という。著者はドイツ文学者として有名な元東大教授の故西義之氏である。氏は、旧統治時代の台湾出身で四校を経て東大を卒業している。
そこで、ふと思い当たるのが、新渡戸稲造の経歴である。本書にも述べてあるが、新渡戸稲造は当時台湾総督府の民生局長であった後藤新平からの招聘を受け、農業技師として当地の製糖事業に関わったということである。

もちろん、このことと西氏の「武士道」批判、新渡戸批判との間に直接的な関係はない。しかし、西氏の頭の隅に新渡戸の名とともにあったのは「武士道」とこの台湾での農業技師としての顔であろうと思われる。現に氏は、新渡戸の技師としての能力は凡庸であったと本書で述べている。

さて、西氏は本書の冒頭に芥川の「手布」を配している。その短編の主人公である長谷川勤造が新渡戸稲造であることを読者に知らしめ、芥川が手布の主題にしているのは「臭み」であり、その臭みとは武士道のもつ臭みであり、また新渡戸稲造の臭さに他ならない、とでも言いたげなのである。

たしかに、「武士道」はにおう。しかし、わたしの感じたそれは決して「臭い」ではなく、桜の花のもつ微かな芳香であった。

香水には僅かながらではあるが、インドールとかスカトールといった悪臭成分が意図的に加えられるという。お汁粉の甘さを引き立てるために少々の塩が混ぜられるようなものだろうか。

とすると、ある文章に幾分の誇張や衒いが含まれていたとしても、それだけをもって悪文とは断定できないであろう。あるいは、「武士道」の中に松王丸の故事や滝善次郎という武士の切腹シーンが克明に記されているとしても、それだけをもって悪趣味であるとかアナクロニズムであるとかという批判をすることは軽率であると思われる。

このような批判の仕方は、飛躍するようだが、大東亜戦争における特攻隊員の死を犬死あるとか、軍の強制によるものであったとか、感情的に、あるいは政治的、思想的な思惑によって批判する態度となんら変わらないようにわたしには思われる。

西義之氏の「武士道」批判は、論理的であるようでいて、どこか、それこそ胡散臭さを感じてしまうのである。「武士道 幻想」というタイトルの通り、氏は、新渡戸の「武士道」は、武士道への思い込みであり幻想、イリュージョンである、とでも言いたげである。

そのことを立証するために氏は、新渡戸の出生にまで言及している。いや、出生にまで、という言い方はあまり適当ではない。というのは、新渡戸は盛岡藩士の家系に生まれているからである。この点において武士道を書くになんら不適当ということはない。

だから、出生ではなく育ちとすればよいかも知れない。つまり、西氏が新渡戸の過敏な性格と関連付けているのは、新渡戸の実父が稲造5歳の時に早逝しているという事実なのである。新渡戸の父、新渡戸十次郎の死因については、西氏も不明であるとしながらも、あるいは自殺ではなかったかとも疑っている。つまり、新渡戸の過敏でときに過激となる性格は、この父親の死が影響を及ぼしているのではないかとしているのである。

また氏は、十次郎の早すぎた死ゆえに、稲造は武士の家系に生まれたとはいえ、果たして真に武士道的な教育を受ける機会を持ち得たのだろうかとの疑問を呈している。つまり、武士道的な教育を受けない者が書いた、それが「武士道」であるとでも言いたげである。

また、その伏線ということになるのだろうか。先に述べた「手布」において、長谷川勤造先生が「梅幸というのは君なにかね」と小倉袴の学生(芥川自身か)に尋ねる場面を挙げている。学生は「先生、あれは近頃有名な役者の名ですよ」と答えるのだが、西氏はこれを芥川が、長谷川勤造が実は芝居とは風馬牛の間でありながら、ストリントベルクの作劇術(ドラマツルギー)についての本を手にベランダで寛いでいる様子を対照させて茶化しているのだとしている。いや、これはまさにその通りであろう。

ところで、書は作者の手を離れたときから独自の運命を持つ。これは西氏も本書で述べていることである。とすれば、「武士道」もすでに新渡戸の手を離れ独立したと考えてもよい。それについて、読者が自由に解釈をしても良いわけである。だから、西義之氏の批判をわたしが敢えて批判する必要もない。

ただ、西氏の批判には、しつこいようだがわたしには、大東亜戦争で特攻隊員として死んでいった若者たちを批判する人たちと同じ臭いを感じてしまうのである。

どういう臭いか? それはいわゆる文化人といわれる人たちの放つ独特の体臭である。それをわたしは文化的な芳香と感じることはできないのである。

特攻隊員たちは新渡戸の武士道を読んで死んでいったわけではない。だが、彼らの行為の根本にあったのは間違いなく愛である。新渡戸の言うように、たとえ戦争とはいえ、その暴力的行為の深いところには愛が潜んでいるのである。