武士道を読み 生と死について思う

2013/07/24 14:06


生きているということは、それほどたいしたものなのだろうか。


このように思ったり、あるいは感じたりしたひとは多いのではなかろうか。

「それほどたいしたものなのだろうか」は、もちろん反語であり、その裏には否定がある。人生などどうせたいしたものじゃぁない、という思いが潜んでいる。

 

ところが、このようなわたしの人生観とは逆に、たった一つの人生を大切なものとしながらも、いとも容易く自ら命を絶ってしまった人たちがいることに驚かされてしまうのである。


なぜこのようなことを考えたか。それは、先日新渡戸稲造の武士道を贖い、いま読んでいる最中だからである。

 

この本は対訳双書となっていて、左に日本語が、そして右が英語となっている。
余談ながら、これを読み始めて最初に思い浮かべたのは日本国憲法前文と呼ばれる醜い文章である。なぜこれを思い出したかというと、新渡戸の文章が素晴らしいからである。日本語が美しければ、当然に英語も美しいものになる典型のように思われたのである(実はこれは逆で、新渡戸は最初からこれを英文でものした)。
これとは逆に、日本国憲法の元となった英文のロジックがどのように素晴らしいかはわたしには分からないが、その訳文が実にいかがわしく詰まらないものであるかはすぐに分かる。

 

さて、以前に芥川龍之介の「手布」という短編について書いたが、あれに出てくる「先生」というのは実は新渡戸稲造である。そして、あの中で芥川がからかっているのは「臭さ」だった。しかもその臭さというのは、おそらくは新渡戸の「武士道」がもつ臭さであった。


たしかに「武士道」は臭う。しかしながら、その臭いはわたしには匂いと書くべきもののように思える。


芥川は才気あふれるまだ若者のうちに没した。人生に加齢臭なるもののあることさえ知らぬうちに自ら命を絶ってしまった。

彼はたしかに才気煥発ではあったかも知れないが、人生につきものの生臭さを嫌った。生臭さの妙を知らぬまま生を終えてしまった。そんな人格上の傾向があったのである。蜜柑を読んでみてもそのことは分かる。

 

「武士道」の匂いとは桜花の香華である。こう書いただけで、芥川なら臭さを感じたかも知れない。
しかしながら、武士道の格調の高さは新渡戸の筆の力によるところが大きいにしても、その元を辿っていくならば、やはり武士道という一つの不文の法体系に至るのではないだろうか。
そこに咲く一本の太い幹をもつ桜が放つ匂い、それがあったからこそ「武士道」は、セオドア・ルーズベルトを感激させ、彼に大部を購入させしめ、各国の高官たちに与え読ませたほどに、アメリカにおいても高い評価を受けたのである。


この書はどこから開いて見ても素晴らしいが、ひとつだけ紹介させていただこう。

 

それは第14章 女性の訓練と地位 である。ここにこのような話が出てくる。

 

・・・ある若い大名の妻が自害する前にしたためた次の手紙には何の注釈も不要であろう。

「一樹の蔭、一河の流れ、是他生の縁と承り候が、そも、をととせの此よりして偕老の枕を共にして、只影の形に添ふが如くなれまいらせ候おん情こそはうれしう候へ。この頃承り候へば、主家の為め最早最後の御一戦の御覚悟の由、かげながら嬉しく思ひまいらせ候。唐の項王とやらむの虞氏、木曽義仲殿の松殿の局、さるためしは、わが身も厭はしう候。されば世に望み窮りたる妾が身にては、せめて御身御存生の中に最後を致し、死出の道とやらんにて待ち上げ奉り候、必ず秀頼公多年海山の鴻恩御忘却なき様頼み上げまいらせ候、あらめでたくかしこ 妻より」