超訳 荒野の呼び声 7

2015/10/06 11:26

翌朝、他の犬たちが起き出してキャンプ場が騒がしくなっても、バックは眼を開けようとさえしなかった。そもそも彼は、今自分がどこにいるのかさえ分かっていなかった。夜の間に降り積もった雪で彼は完璧に埋もれてしまっていたのである。雪の壁による圧力と急峻な恐怖の衝動が彼の全身を包んだ――それはトラップに対する野性的、本能的恐怖だった。それはまた、彼の遠い先祖たちが同じように感じ、今を生きる子孫であるバックに残してくれた遺品なのである。なぜなら、すっかりと文明に甘やかされてしまった彼には、トラップの恐ろしさを知る経験など持ちようがなかったからである。全身の筋肉が本能により痙攣的な収縮を起こして首や肩の辺りの毛を逆立たせ、彼は獰猛な唸り声とともに雪煙を巻きあげながらまっすぐ薄暗い夜明けの中へと跳び上がった。雪の大地へ着地すると、真っ白なキャンプ場が眼前に広がっているのを見て、バックには一瞬にしてマニュエルの綱に引かれての散歩からつい昨夜あちこち彷徨いながらようやく自分で自分の寝床を掘ったときまでの記憶がよみがえった。

フランソワがバックの姿を認め叫び声を上げた。「俺が言ったこと憶えてんだろ」と、この犬使いはペラールトに叫んだ。「バックの奴がほんとうに何でもかんでもすぐに飲み込んでしまうって言ったことをよ」

ペラールトはもっともだというふうに頷いてみせた。カナダ政府の郵便配達人として重要な郵便物を運んできた身としては、彼には最高の犬たちを確保する責務があり、バックのような犬を持つことは極めて誇らしいことだったのである。

一時間のうちにもう三頭のハスキー犬が仲間に加えられ計九頭となったが、それから十五分過ぎるころにはみなハーネスを装着されダイイーキャニオンを目指し勢いよく橇を走らせていた。橇を引いて走るのはきつい仕事であったが、バックにはそれが嫌などころかむしろ喜びにさえ思われた。驚いたのは、チームの全員が見せる一丸となって橇を引く真摯さであり、それが彼にもよく伝わってきた。とりわけ驚いたのはデイブとソルレックスの仕事ぶりだった。ハーネスを着けられたときから、彼らはまったく別の犬に生まれ変わってしまっていたのである。何事にも受動的で無関心だった態度は彼らから垢のように剥がれ落ちていた。俊敏で活動的になり、仕事が支障なくいくように気を回し、遅延や混乱など仕事の障害となることに関しては恐ろしいほどの苛立ちをみせた。橇を引くことこそが彼らにとって最高の存在証明であり、そのためにこそ彼らは生きているのであって、それこそが唯一の喜びなのだった。

デイブが橇のしんがりを務め、その前をバックが走り、さらにその前をソルレックス、そして残りの犬たちがさらにその前を一直線上に走り、そしてリーダー犬としてスピッツが先頭を務めた。

バックは、指示を的確に受けられるよう意図的にデイブとソルレックスとの間に置かれていた。いうなれば彼は学生であり、デイブとソルレックスが彼の先生というわけで、彼らはバックがいつまでも過ちを犯すことを決して許さず、そのためには鋭い歯を有効に使った。デイブは公正でとても賢かった。彼は理由もなしにバックに噛みつくことは決してなかったが、必要と考えれば間違いなく噛みついた。フランソワがそれをバックアップするかのように鞭を打ち、バックはバックで、仕返しをするよりは方向を少しばかり直したほうが安くつくということをすぐに理解した。一度、わずかな休止中にバックは引き紐を縺れさせてチームの出発を遅れさせてしまったのだが、デイブとソルレックスがそろってバックに襲い掛かり懲らしめようとしたことがあった。結果的には縺れはさらに酷くなってしまったのだが、その後、バックは引き紐の扱いには慎重を期すようになった。それを最後に彼は自らの仕事を完全に修得してしまったので、もはや仲間たちがバックを責めるようなことはなくなった。またフランソワの鞭が宙を唸らせる機会もうんと減った。ペラールトは、バックの足を持ち上げて傷がないか調べてやるとき、まんざらでもない気持ちだった。

その日は、キャニオンを目指して、シープキャンプを通過しスケールスと高木限界を通り、氷河と数百フィートもの深さにも達する雪の吹き溜まりを横断し、海水と湖水とを切り分け、物悲しく寂しい北方の地を頑なまでに守ろうとするチルコートデバイド(分水嶺)を越えるという大変な一日であった。彼らは、火山活動によってできたいくつもの湖が階段状にいくつも連なっているのを降りてゆき、その夜も遅くなってからベネット湖の先にあって何千人もの金探しの男たちが春先の氷解け時のためにたくさんのボートを作っている大きなキャンプ場に乗り入れた。バックは、あまりに疲れていたので、冷たく暗い中で他の犬とハーネスで繋がれたままでいることも忘れ、すぐに自分の寝床を掘り始めた。