超訳 荒野の呼び声 14

2015/10/15 20:29

ドーソンに着いてから七日目に、ユーコントレールに通じるバラックスの険しい傾斜を下ってダイイーとソルトウォーターを目指した。ペラールトは何を置いても急ぎで運ばねばならない郵便物を抱えており、なによりも彼はプライドに捉われていた。そして、そのプライドにはこの年の記録を打ち立ててみせるということもあったのである。これにはいくつかのことが彼の強い味方になった。一週間の休養は犬たちを元気に復活させたし、またそれまでの旅は、次の旅のことまで考えて重い荷物を積まねばならなかったが、今回は警察が二か所か三か所に犬や人間の食料補給所を用意してくれていたので、軽くてすんだのである。

彼らは初日に五十マイル走ってシックスティマイルに達した。そして翌日にはユーコンの勇壮な流れを聞きながらペリーまで橇を進めることができた。しかしながら、これほど輝かしい走りがフランソワを困らせ悩まさずに進んだわけではなかった。バック主導の反乱は続いており、チームの結束は壊されてしまっていた。一頭を引き綱につけるだけでも大仕事であった。バックの力を恃んでの反抗の影響は、犬たちみなをあらゆる不行跡へと導いてしまったのである。スピッツはもはや恐るべきリーダーではなかった。古き良き畏れの念は消え失せ、彼らはみな彼の権威に挑むようになった。パイクはある夜、彼の魚を半分ばかり奪い、バックの保護の下飲み込んでしまった。別の夜には、ダブとジョーがスピッツと喧嘩をしたが、彼らは受けるべき罰を受けずに済んだ。そして気立ての良いビリーでさえ、もはや気立ての良いビリーではなくなり、かつてのような宥めるような鳴き方はしなくなった。バック自身もスピッツに近づくときには唸り声を上げ、毛を逆立てて脅した。まさに彼のスピッツに対する行動はいじめであり、彼はスピッツの鼻先でふんぞり返ってみせたりした。

統率の乱れは他の犬たちの関係にも悪影響を及ぼした。彼らは今まで以上に噛みつきあったり唸りあったりして、キャンプ中が喧騒に包まれるようになった。デイブとソルレックスは以前のままであったが、いつ終わるともしれない騒ぎに苛立ちをみせはじめていた。フランソワは意味の分からぬ野卑な言葉を吐いて罵り、怒りに任せて雪を踏みならし、髪をかきむしった。鞭は絶えず犬たちのまわりで唸りを上げていたが、ほとんど役には立たなかった。彼の背中は犬たちが不穏な動きを見せるたびに振り返った。彼はスピッツを立て、鞭を唸らせることによってバックアップをしていたのだが、その一方ではバックが残りの犬たちのバックアップをしていたのである。フランソワはもちろん、トラブルの背後にバックがいることを知っており、バックはまたそのことを知っていた。だからバックは、これまで以上に賢く振る舞い決して犯行の尻尾を捕まれるようなへまはしなかった。仕事は彼の喜びだったので誠実にこなしたが、一方では犬たちが喧嘩をするよう狡賢く嗾けたり引き紐を縺れさせたりすることはそれ以上の喜びになっていたのである。

ターキーナの入り口で夕食を摂り終えたある夜、ダブが一匹の雪ウサギと出くわしたが、ドジなことにうまく逃げられてしまった。その直後、全ての犬が興奮して一斉に吠え声を上げた。百ヤード先にはノースランド警察のキャンプがあったのだが、そこにいた五十頭のハスキー犬が彼らに合流してウサギを追い始めた。ウサギは猛スピードで河を下り、小さな谷川に折れた後、凍り付いた川床を駆けあがった。雪の表面を軽快に走り、一方犬たちは大きな流れとなって雪を掻き分けて追いかける。バックが六十頭の群れの先頭になってジグザグに走るが、追いつくことができない。しかし彼に諦めの文字はなかった。激しく吠えながらその秀でた肉体を前へ前へと推し進めていく。青ざめた月の光の下ジャンプにつぐジャンプを繰り返す。そしてウサギもまた、あたかも薄青色をした氷の生霊のようにバックの目の前でジャンプにつぐジャンプを繰り返す。

この古代よりの本能に触発された騒ぎは、町中から森や平原で化学反応の力によって鉛製のたくさんの粒を発射させて生き物を殺す男たちをも何事かと外に出させる始末となったが、血への渇望、殺すことの喜び、これらはバックの内にあり、自らと限りなく親しい関係の感覚だった。彼は群れの先頭を走りながら、野生の、生きた肉としての命を襲って倒し、自らの歯で殺してその鼻先から両目の端までをも生暖かい血に浸す、そのことだけをひたすら願っていた。

そこには生の頂点としてのエクスタシーがあり、その先にそれ以上の命の高みはなかった。またそれは、生が本性としてもつパラドックスであり、その頂点にたっしたとき、生そのものは完全に忘れ去られてしまっているのである。エクスタシーと忘却は、火の帯のように突如として芸術家を捉え、一瞬にして彼の元を離れてしまうものなのである。またそれは、敵襲を受け退避も叶わなくなった兵士に狂気の蛮勇となって訪れるものなのである。そしてそれは、月光の下、群れの先頭を走りながら古代よりの狼の咆哮を上げ、目の前を素早く逃げ回る生きた食い物を追い求めるバックに今訪れているものなのであった。
彼は自らの本性を、そして自分自身よりもずっと奥深くにある本性が持つ各部の深さを、時という子宮に戻って測っていたのである。彼は、生の急峻な脈動、存在の干潮作用、筋肉相互間の連携、関節、腱など、死とは無関係なすべてのものに、生に点火し燃え上がらせ、躍動に自らを表出させ、天上の星煌めく下死んで動きを止めてしまった大地の上で至福の跳躍をさせるものの喜びに支配されていたのだった。

しかしスピッツは、冷徹に計算された優位なムードにいて、独り群れを離れると土地が狭くなり小川が長く曲がった首の部分を横切った。バックはこのことにまったく気が付かず、この湾曲部を曲がり、依然として目の前を素早く逃げ回る凍った生霊を追い続けていたのが、そのとき彼は、さらに大きな生霊が庇のようにとび出た土手からウサギが今まさに通過しようとしている先に飛び跳ねるのを目の端に捉えた。それはスピッツだった。ウサギは曲がることもできず、真っ白な牙が空中でその背中を噛み砕くと銃に打たれた者のような鋭い叫び声を上げた。この叫びは、命がその頂点から死の手へと落ちるときの音だったのであり、このときバックの後ろにいた群れのすべての犬から地獄の歓喜のようなコーラスが上がった。