超訳 荒野の呼び声 26

2015/11/09 23:04

第七章

響き渡る呼び声

バックがわずか五分の間に千六百ドルをジョンソーントンのために手に入れたおかげで、彼はかなりあった借金を完済し、パートナーたちとともにこの地方の歴史と同じくらい古い伝説である失われた金脈を求めて東部の旅へ出発した。
多くの山師たちがこの金脈を求めて旅に出たが、誰も見つけることができず、出かけたまま戻ってこない者も多かった。この伝説は悲劇に包まれ謎に覆われていたのである。そもそも最初にこの金脈を発見した男を誰も知らなかった。最も古い言い伝えはソーントンに届くまでには途絶えてしまっていたのである。彼の知る伝説は古い廃屋の話から始まる。死に瀕した男たちがその廃屋の近くに金脈があり、そこにその場所を記したものがあると宣誓したのだ。彼らがその証拠として見せた金塊は、北の地で知られるどんな金よりも上質であった。

しかし、生きている者でこの宝の家にたどり着いた者は一人としていなかったし、たどり着いた者がいたとしても、今となっては死者に口なしである。このようなわけで、ジョンソーントンとピートにハンス、そしてバックとその他六頭の犬たちは東へと、知られざる道を行く、成功の確約もない旅を始めたのであった。

彼らはまず橇でユーコンを七十マイル遡り、左に折れてスチュワートリバーに入るとメイヨーとマッククェスチョンを通り、さらにこの川が大陸の背骨となって屹立する峰から細い糸くずのような滝になって落ちるところまで進んだ。

ジョンソーントンは人に対しても自然に対しても何も求めない質の男であった。自然を恐れもせず、一握りの塩とライフル一丁を持って荒野に入り、そこがどのようなところであろうともこれまでと変わらず楽しむことができた。決して急がず、インディアンのように毎日続く旅の途中で仕留めた獲物を食糧とし、もしも獲物に恵まれなかったとしても、インディアンのようにいずれ食料を得るだけの知恵を持っていたからそのまま旅を続けた。東へと向かうこの偉大な旅は、途中で仕留めた獲物が即料理となり、また弾薬や銃器は橇の上に理に適った配置をされていたので、遠い先のことを気に病む必要はなかった。

バックにとってもこの旅は、狩猟も魚釣りもまた行方定めぬ未知の土地での放浪も限りない喜びであった。何週間もの間、彼らは堅実に進み続けた。そして、その何週間の間、彼らはあちこちでキャンプを張り、犬たちは遊んでまわり、男たちは凍てついた土や石の地面に穴を掘って火を起こし、たくさんのフライパンに着いた汚れを火の上で氷を解かして洗った。ときには彼らは飢えに直面し、またときには食料に恵まれて騒々しく食事に興じた。すべては獲物の数次第、猟の成果次第だったのである。

夏がやってきて、男たちも犬たちも背に荷物を負って歩き、筏で青い山を映す湖を渡り、近くの森で見つけた樹を鋸で切り出して作った細身のボートで名も知らぬ川を上ったり下ったりした。

月日が来ては去り、行きつ戻りつしながらも彼らは地図にない荒野を、未だ誰も住んだこともなければ、もしもこの伝説が真実だとしての話だが、未だ誰も行ったことのない場所を探して旅を続けた。彼らは、夏の嵐の中、分水嶺を越えた。夜中の太陽の下、万年雪と高木限界の間を歩いて、蚋と蠅が群がる夏の谷間まで降下し、氷河の陰にスコットランドの高原ならさもあらんと思われるほど野苺や野の花が熟し咲き誇っているのを手で摘んだりした。
秋になると、彼らは、鴫の他には生き物の姿も形も見えず、ただ冷たい風だけが走り抜けて日陰の氷を泡立たせ、その渚に寂しくもさざ波を立たせる神秘的な湖沼地帯を通り過ぎた。

そして次の冬、金脈を探す男たちが昔に通ったと思しき森の深くへと続く道の跡を追い、失われた廃屋がごく近くになったことを感じた。しかし、結局この道はどこにも通じてはいなくて、ミステリーはミステリーとしてそのまま残り、あたかもそれはその道を通った男が後の者にミステリーを提示するために通ったとしか思えなかった。またあるときには、年月を経て朽ち果てた狩猟小屋に出くわし、ジョンソーントンは腐った毛布の屑の中に銃身の長いフリントロックの銃を発見した。彼はそれが西部開拓時代のハドソンベイ社製で、当時の値段でビーバーの毛皮をいっぱい積み上げねばならないほどのものであったことを知っていたが、成果といえばそれだけで、なぜ当時ここにいたその男が銃を残して去らねばならなかったかについてはヒントさえなかった。

再び春が巡り、彼らは放浪の末ついに、それは失われた廃屋そのものではなかったが、しかし広い谷の河床で、パンの底に金が黄色いバターのように残る場所を発見した。彼らはこれ以上旅を続ける必要がなくなったのである。なぜなら、それから彼らは毎日金を掬う仕事に精を出し日に何千ドルもの砂金や金の塊を得て、それが毎日休むことなく続くようになったからである。この金はヘラジカの革袋に五十ポンド詰め込まれ、この革袋が松の枝で作った小屋の裏に薪と同じように積み上げられた。日は次の日の踵を追うようにして輝き、彼らは恰も巨人が金を積み上げている夢を見ているかのような気がした。

犬たちにはやるべきことが何もなくなった。ソーントンが殺した獲物に吠え声を上げることもなくなり、バックは火のそばで長い時間を楽しんだ。そんなとき例の毛むくじゃらの足の短い男の姿がまたしばしば現れるようになった。そうして火のそばで眼をしばたたいているうちにバックはどこか見憶えのある別の世界へとその男とともに迷い込んでいくのであった。

この別世界の際立った在り様は彼の目に恐ろしく映った。バックは毛むくじゃらのこの男が火のそばで頭を膝の中に入れ両手を頭の上で結んで寝ている姿を見ているのだが、この男はしょっちゅう目を覚ましてはまた眠りに入ったりと落ち着きがなく、ときおり恐ろし気に闇の中に眼を凝らし木の枝をさらに火にくべたりした。

また、バックとともに海辺を歩いていたとき、この男は貝を拾って集めその場で口にしたが、そのようなときにも彼はあちこちに絶えず眼を配って、どこかに危険が潜んでいた場合にはすぐにでも風のように逃げられるよう警戒していた。森の中を歩くときも、バックは男の後についていたのだが男は音もなく忍び足で歩き、常に警戒を怠らず耳は常に音のする方を向き鼻はクンクン小刻みに動いたが、それはバックと同じくらいに敏感なようであった。男はジャンプして木の上に上がると、バックの頭上を枝から枝へと腕を大きく伸ばしてスウィングしながら地上にいたときよりも早く移動し、ときには五メートル以上離れた樹間を片方の手は掴んでいた枝を放し、もう一方の手で別の枝を掴むという離れ業で飛び移り、落ちることもなければ枝を掴み損ねることもなかった。事実、この男にとって樹上は地上よりも生活の基盤に近かったのである。バックはこの男が樹上で枝にしっかりとつかまって眠っている下で夜を明かしたこともあった。

そして今、この毛むくじゃらの男の幻影にも似た呼び声が森の奥深くから響いていた。その声は、彼を非常に落ち着かなくさせまた奇妙な渇望へと駆り立てた。それは彼にぼんやりとした甘い喜びを起こし、そして彼を野性への思いに、それが何かは分らぬままに掻き立てた。
時々彼は、その呼び声を追って森の中へと入っていき、恰もそれが目に見えるものであるかのようにその声を探した。そして、そのときの気分が命ずるままに小さく、あるいは挑戦的な吠え声を上げた。彼はその鼻面を冷たい樹の苔や長い草が生い茂る黒い土の中に押し込み、その豊かな大地の匂いを嗅ぐ喜びに鼻を鳴らした。また彼は、何時間もの間朽ちて茸に覆われた樹の幹の後ろに隠れるように座り込んで、目をいっぱいに見開き耳を傾けて、動くもの、音を発するものすべてに気を配った。このようにして待っていれば、いつかこの理解のできない呼び声が聞こえてくるであろうと期待したのである。しかし彼は、なぜ自分がこんなことをしているのかには気が付いていなかった。ただ彼はそうすべく掻きたてられていたのであり、それには特別な理由などなかったのである。

抗しがたい衝動にバックは捉えられてしまっていた。彼は暑い日中にキャンプでのんびりと居眠りをしていたとき、ふいにその頭を上げ、何かの音に聞き耳を立てたかと思うと急に飛び跳ねるように起きて飛び出し、何時間も森の中の道を走って、樹の根だらけの開けた場所を横切った。彼は水の干上がった川筋を走るのが好きだった。そして、森の中の鳥に忍び寄ったりこっそり覗いて見たりした。そんなある日、彼は下藪に潜み、二羽のヤマウズラが胸を羽で打ち鳴らしながら行ったり来たりし互いに相手を威嚇している様子を観察した。しかし、中でも彼が好きだったのは、黄昏た夏の夜中の薄暗がりの中を、柔らかで眠くなりそうな森の呟きを聞きながら、恰も人が本から何かのサインや音を読むように、そこから彼を誘う謎めいた声を――寝ても覚めても絶えず彼を呼び続ける声を探して走ることであった。