超訳 荒野の呼び声 9

2015/10/10 10:04

彼の進化(あるいは退化)は速かった。筋肉は鋼鉄のように強靭になり、多少の痛みなら感じなくなった。外的にも内的にも効率が高まった。たとえ反吐が出そうなものでも、とても消化などできそうにないものでも喰ってしまったが、ひとたび腹の中に入ってしまうと、強力な胃液が栄養分の最後の最後まで抽出し、血流がそれを身体の隅々にまで運び、強固で頑丈な細胞へと再構築させた。視覚と臭覚は驚くほど鋭敏になり、一方聴覚は、寝ている時でさえ微かな音に反応しそれが危険なものなのかどうか聞き分けることができるようになった。彼は足の指の間に挟まって固まった氷を歯で齧って取り除く術を憶え、また喉が渇いたときには氷の屑が水鏡となった穴の周りに分厚く溜まっているのを前足や後足で砕いて食べた。特に注目すべき能力といえば、風を嗅いで夜の天気を予想できることであった。たとえそのときは風が弱くても、彼が木の根元や土手近くに寝床を掘ったなら、必ず夜には猛烈な風となり、それを避けるために彼が風下を選んだのだと分かるであろう。

こんなことは、バックは経験から学んだわけではない。長い間使われることなく眠っていた彼の中の本能が目醒めて動き出したにすぎないのだ。飼い慣らされてきたこれまで幾世代にもわたる文明の垢が彼の皮膚からこそげ落ちたのである。うっすらとではあったが、はるか昔、自分たちの種が、仲間たちとともに餌食を求めて原始の森を疾駆しながら生きるための肉を勝ち得ていたころの記憶がバックに蘇ってきたのである。彼にとって、牙を使って切ったり裂いたりあるいは狼のように素早く噛みつくといった喧嘩作法の取得はなんでもないことだった。なぜなら、こういったことは彼の祖先たちが日常的にやっていたことだったからである。彼ら祖先はバックの中に原始の力を植え付け、彼ら自身もバックに乗り移って喧嘩をしていたのである。彼らは苦もなく、そして気付かれることもなくバックに入り込み、常に彼とともにいたのである。そしてときには、特に凍てつくような夜などには、バックがその鼻先を一つの星に向けて長く尾をひく狼の吠え声を上げるときには、はるか昔に死んで塵となってしまった彼らも幾世紀もの時を越え、彼の喉を通して共に吠えていたのである。そのときのバックの声の抑揚は彼ら祖先たちの抑揚であり、そしてその抑揚自体は、深い悲しみを湛えた、容赦がなく冷徹で暗いこの世界の不条理を訴えるものであったのである。

ゆえにその抑揚は、あたかも人生が傀儡に過ぎないことの徴のように古の調べとなってバックから噴出し、今を生きる彼の新しい歌となって彼の喉を震わせていたのである。彼がいま歌うのは、男たちが北の地で山吹色した金属を見つけたからであり、庭師手伝いのマニュエルの安賃金では妻子を養うことができなかったからなのである。