超訳 荒野の呼び声 25

2015/11/08 15:40

その冬、ドーソンでバックはまた新たな大仕事をした。それは、英雄的というほどのものではなかったが、彼の名を全アラスカのトーテムポールのてっぺんに刻むことになったのである。この大仕事は特に、三人の男たち全員にとっても感謝すべきものであった。なぜなら、彼らにはかねてから待ち望んでいた未踏の東部を旅するための装備品が必要だったからである。そこはまだ、山師たちの手つかずの土地であった。

そもそもそれは、エルドラドサルーン(という酒場)での他愛もない会話から始まったもので、そこでは男たちが自分の犬の自慢話に花を咲かせていた。バックは、すでに人々の噂に登っていたから、早速彼らのターゲットにされた。ソーントンはもちろん強くバックを擁護した。三十分ほどして、ある男が自分の犬は五百ポンドの荷を橇に乗せたままスタートして歩けると宣言した。すると次の男が、俺の犬は六百ポンドだと言い、三番目がいや俺の犬は七百ポンドだと見得を切った。

「話にならねぇ」とジョンソーントン。「俺のバックなら千ポンドだ」

「そりゃ氷を自分で割っての話かい? それで百ヤード歩き続けるって言うんだな?」と、マチューソンという七百ポンドの大見得を切った鉱脈王が念を押した。

「もちろん氷を割って、百ヤード歩ききってだ」とジョンソーントンは落ち着き払って言った。

「よし」とマチューソンがわざとらしいゆっくりした口調で言った。そのため、誰もがその言葉を聞き逃さなかった。「俺は出来ない方に千ドル賭ける。金はここにある」そう言って彼は、ボローニャソーセージくらいの大きさの袋に入った砂金をカウンターに置いた。

後の者は誰も口を開かない。ソーントンのブラフが、もしもそれが本当にブラフであるとしてのことだが、賭けの対象になってしまった瞬間だった。彼は熱い血が顔を登っていくのを感じた。舌がもつれた。彼はまったく、バックが千ポンドもの荷を載せて橇を引けるかどうかなど知らなかった。千ポンドとは実に半トンである。その重さにソーントンは今さらながら圧倒された。彼はバックの力強さに全幅の信頼を持っていたが、そのような重さの橇を果たして動かせるものだろうか、という思いが頭を掠めた。しかし、今となっては、その可能性に賭けるしかなかった。何十人もの目が彼を見詰めている。静かに、そして彼の答えを待っているのだ。さらには、彼は千ドルもの大金を持ってはいなかった。ハンスにしてもピートにしても同じある。

「俺は今、外に五十ポンドの小麦粉を二十袋積んだ橇を用意した」マチューソンは、容赦のない直截な言い方をした。「さぁ、もう後には引けねぇぞ」

ソーントンは答えなかった。どう言っていいか分からなかったのだ。彼は視線を顔から顔へと移していったが、それは思考力を失ってしまった者がよくやるように、どこかにもう一度最初からやり直す方法がないかを探しているのだった。オブライエンの顔がふと目に入った。マストドン(漸新世から洪積世の象に似た生き物)王、かつてのソーントンの連れである。それが合図となり、これまで夢にも見なかったことをやってみせる気を彼に起こさせた。

「千ドル貸してくれないか?」彼は囁くように訊ねた。

「いいとも」オブライエンが答え、一見して軽く千ドルを越える砂金が入っていると思われる袋をマチューソンの隣に置いた。「もっとも俺は、その獣がそんな大それたことをやれるとはちっとも思っちゃいねぇがな」

エルドラドは皆が賭けを見ようと外に出てしまったので空っぽになってしまった。テーブルには誰もいなかったが、賭け人と胴元が賭金を見に来てオッズを決めた。何百人もの毛皮にミトンをはめた男たちがマチューソンの橇の周りに邪魔にならない程度の距離を保って人垣を作った。マチューソンの千ポンドの小麦粉を積んだ橇は、もう二時間もそのまま厳しい寒さ(華氏マイナス60度=-17.5℃)の中に置かれたままで、ランナーは踏み固められた雪に凍りついてしまっていた。男たちは、オッズをバックが引けない方に2対1とした。「ブレークアウト」という言葉について屁理屈めいた文句が飛び出した。オブライエンは、ランナーを雪から引き剥がす権利はソーントンにあり、それから静止した橇をバックが引き始めるのが「ブレークイットアウト」であると主張した。マチューソンは、その言葉は凍って雪にへばりついたランナーを犬自身が引き剥すことだと言って譲らなかった。多数の男たちが彼の言い分に従って決めるべきだと唱えたので、賭け率は3対1とバックが引けない方に跳ね上がった。

しかし引き受ける者がいなかった。バックが橇を引けると信じる者がいなかったのである。ソーントンは、深まる疑心に気を重くしながらも賭けを急いだ。しかしあらためて今、橇を目の当たりにして、その差し出された事実――本来この橇を引くべき十頭の犬たちが橇の前で尾を巻いて寝ている姿に、如何に無茶な賭けだったかを思い知らされた。マチューソンは嬉しさを抑えきれないようだった。

「3対1だ!」と彼は宣言した。「俺は、新たに千ドルそのレートで賭けるが、ソーントン、おまえさんはどうだ?」

ソーントンの疑心はその顔に強く現れていたが、しかし彼の闘争心は高まり、その高まりはオッズを飛び越え、不可能という認識さえ超えてしまい、耳には見物人のさざめきさえ入らなくなった。彼はハンスとピートを呼び寄せた。彼らの砂金を入れた袋はほっそりとしている。彼自身のものと合わせても二百ドルほどにしかならない。しかし彼らは、なけなしのその全財産を躊躇することなく、マチューソンの六百ドルに並べて置いた。

十頭からなるチームの犬たちは解かれ、代わりにバックが自分のハーネスを装着され橇につながれた。彼もまた熱気に感染しており、また彼は、心のどこかでこの仕事の達成がジョンソーントンに対する大きな貢献になるということを感じていた。
彼の素晴らしい外見に賞賛のつぶやきが起こっていく。彼はいま絶好調であり、一切贅肉のない百五十ポンドの体重は精悍さと男らしさの塊であった。ふさふさした毛皮のコートは絹のぬめやかさをもっており、首の下、そして両肩を横断するたてがみはいつも通り伏していたが、溢れそうなほどの活力が特定の部分の毛を生き生きと活発にさせるように、彼が動くたびに半ば逆立ち、起き上がるように見えた。
分厚い胸と太い四肢は、身体の残りの部分に比しても均整がとれ、筋肉が皮膚の下で盛り上がっているのが見えた。男たちはこの筋肉に触れ、鉄のように硬いと声を上げ、オッズは2対1に下がった。

「ちくしょう!こんちくしょう!」と最後の王朝、スクーカムベンチーズ王が吃りながら叫んだ。「俺は八百ドルその犬に賭けるぜ。まだ賭けは始まっちゃぁいねぇからいいだろ。八百ドルちょうど、その犬にだ」

ソーントンは頭を振り、バックの傍に寄った。

「あんたはその犬に近づいちゃならねぇ」マチューソンが抗議した。「引くのはその犬だけで、間はしっかり取ってもらわにゃならん」

群衆は急に静かになった。ただ賭け人の2対1という声がわずかに聞こえるだけだ。誰もがバックを途轍もない犬であることは認識していたが、五十ポンドの小麦粉二十袋という彼らの目に映る量は、財布の紐を緩める気にはさせなかったのだ。