I scream (または同時性2)

2016/07/08 15:28


先に、わたしは一個300円のハーゲンダッツを買って324円払ったと書いた。あるいは、324円払ったからハーゲンダッツを手に入れた、と書いた。
これは、同時履行の抗弁権という法律があるから、というわけではない。
要は、こういう人間関係が絡む場合、自分の立場から見たときと、相手方の立場から見たときでは、同じものがまったく違って見える、ということである。
つまり、コンビニの店員から見れば、324円受け取ったからアイスクリームをわたしに渡したのであり、わたしからすれば、アイスクリームを受け取ったから324円払ったのである。

これは、原因と結果がわたしと相手の立場では逆転してしまうということを意味する。

わたしは昔、バーティゴという駄文をものした。子供の頃、わたしは大きな団栗の樹が風に騒ぐのを見て、あれは風が吹いたから枝葉が戦ぐのか、それとも枝葉が戦ぐから空気が煽られるのだろうかと疑問に思ったことを書いたのである。

現象の真の原因というのは、究極的には分からないのかも知れない。かの「シュレディンガーの猫」においても、ラジウムアルファ線を放出するかどうかは蓋然性でしか表せないのだ。

πの無限に続く数字の次に来る数字が十分の一の確率でしか分からないのと同様に、すでに決定してしまっている運命に原因など見つけようがないのかも知れない。

ああ、ここでわたしは、頭を掻き毟って叫びたくなってしまう。

アイスクリーム(I scream)!

 

アイスクリームに関わる、というか、まさに上の同時履行の抗弁権ということで、思わず、オーマイゴーと、Iscream しそうになったのは、ある中国人夫婦の日本での行いについて、というより、起こした事件である。

おそらく中年かそれ以上の年配であったと記憶するが、なんとこの夫人、アイスクリームをコンビニで手に取ると、その場で食べ始めたのだという。更には、これを咎めた店員に対して夫の方が暴力を振るったというのだから、嫌でも今の南シナ海を巡るシナの傍若無人ぶりを思い浮かべてしまうのである。
こんな、子供でもしないようなことを、シナ人というのは平気でやってしまえるのだ。それを、われわれは眼を瞠って見ているしかないのである。