奔訳 白牙42

2017/04/30 21:19

 

肩の傷は硬くなって酷く痛み、そのために彼は時々びっこをひいて歩かねばならなかった。しかし今、彼が見る世界は違っていた。彼はその世界に、大山猫との死闘以前にはなかった意気を感じ、堂々と胸を張って踏み入るようになった。彼は、人生をこれまでとは違って、はるかに残酷なものとして捉えるようになった。彼は闘い、その牙を敵の肉に埋める。そうして生き残ってきた。そうして、彼は一層勇敢になり、またその結果として反抗的にもなってきた。もはや些細なことを怖れなかったし、内にあった従順さは影を潜めたが、それでもまだ、未知のものに対する神秘や畏れ、五感の及ばぬものや脅威はずっと彼を掴んで離さずにいた。

彼は、母親と共に狩に出かけるようになったが、そうした中で彼は多くの獲物に出会い、狩の中で自分の役目を果たすようになった。そうして、ぼんやりながらも彼は肉の掟を知るようになっていったのである。その一つが世界には自分と同じ生き物と別の生き物がいるということであった。自分と同じ種とは母親や自分自身である。その他は、すべての動く生き物ののことであった。しかし、他の生き物はさらに分類が必要であった。一つは彼と同じ、殺して食うものである。さらにこれらは殺さぬものと小さな殺すものに分けられた。もう一つのものは、殺してその肉を喰うものであり、また逆に殺されてその肉を喰われるもののことである。このような分類は、すなわち掟となった。生の目的は肉である。生そのものが肉なのだ。生は他の生によって成り立つ。喰うものがあり、喰われるものがある。掟とは、喰うか喰われるか、なのである。彼は、この掟をはっきりと理論化したわけではなく、言葉や倫理にしたわけでもなかった。それどころか、彼は掟について考えたわけでもなかったのである。彼は、掟を思考するのではなく、あるがままに捉えたのである。

彼は、掟を周りで起きていること全てに適用させた。彼はライチョウの雛を喰った。また鷹はライチョウの母親を喰った。さらには、鷹は彼自身をも襲って喰おうとした。後になって、彼は大きくなって怖いもの知らずになったら鷹を喰ってやろうと思った。彼はすでに大山猫の仔を喰った。しかし、もしも大山猫の母親が死なずに彼の方が殺されていたら、大山猫の母は彼を喰ってしまっていたであろう。それが現実なのである。掟は彼の中に、そして生きとし生けるもの全ての中に息づいており、彼自身もその掟の一部なのだ。彼は肉を喰う獣なのである。彼の唯一の食物は肉であり、それも生きた肉、すなわち彼の目を賺してすばやく逃げ、空に舞い上がり、あるいは木の上に登り、あるいは土に潜り込み、あるいは彼と対峙し闘い、あるいは逆に彼を追い回すものたちなのである。

灰色の仔がもし人間のように考えるとしたら、生とは途方も無い食欲の具現であり、世界は種々多様の味に満ちた、追いつ追われつの、狩るか狩られるかの、喰うか喰われるかの、何もかもが暴力と無秩序に彩られた盲目の混乱、貪欲と殺戮のカオス、偶然と無慈悲と無計画の、決して終わることの無い統治、とでもなったであろうか。

しかし灰色の仔は決して人間のようには考えなかった。彼は物事を広くは考えなかったのである。彼は一つの目的、楽しみだけに集中し、一時に一つのことのみを考え、あるいは熱中した。肉以外にも彼には夥しい数の取るに足らぬ法や従わねばならぬことがあり、それらについて学ばねばならなかった。世界は驚きに満ちている。生の活動は彼の中にあり、躍動する筋肉は彼の尽きぬ喜びであった。獲物を追うのはスリルと絶頂感に満ちた体験であった。怒りも闘争さえも喜びであったのだ。恐怖そのもの、そして未知に対する神秘は彼の生そのものだったのである。

そして、そこに安らぎと満足があった。腹が満ち、陽射しの下で気怠い昼寝をすることは苦闘と苦難の報酬であったが、その苦難苦闘自体も報酬だったのである。それらは生の表現であり、生は、それを表現している限り常に喜びなのである。故に、世界が敵意に満ちていようとも、この狼の仔にとっては争うべきものではなかったのである。彼は意気揚々として生きており、幸福に満ち、自分を誇らしく感じていた。