奔訳 白牙32

2017/03/14 20:38

よって、母親に示された法に従うこと、そして未だ見ぬものや知らぬものに対する感情、すなわち恐れに従うこと、彼はこれを守って洞窟の出口へは近寄らずにいた。故にそれは、彼にとってずっと光の白い壁であり続けた。母親がいないとき、彼はほとんどの時間を眠って過ごし、目が覚めている間もじっと静かにして、喉から込み上げそうになる泣き声も我慢して堪えた。


一度、起きているときに彼は白い壁の方から奇妙な声がするのを聞いた。彼は、外に立っているものが鼬であることを知らなかったが、そいつらは武者震いしながらも慎重に洞窟の中の臭いを嗅いでいる。仔狼はその臭いが妙な、これまで嗅いだこともないものであったので、たちまち恐怖に襲われた。

背中の毛がぞっと逆立った。どうしてこの臭いが毛を逆立てさせたのであろうか? それは彼の知識にあるものではなく、彼がこれまでに遭遇したものでもなかったが、目に見える恐怖となって彼の中に現れたのである。しかし恐怖はまた、それとは別の隠されていた本能をも露わにした。仔狼は猛烈な恐怖に身動きもできず声も上げられず、凍りつき、石化して、まったく存在を消してしまったのである。

母親が戻ってきて、鼬の臭跡を察すると唸り声を上げながら洞窟の中に飛び込み、過度なほどの激しい愛情で彼を舐めた。そして仔狼は、これで痛い目に会わずに済んだことを知った。
その一方、仔狼の中では他の力が存在を訴え始めており、とりわけ成長の声が大きかった。本能と法が彼に従うよう要求するのだが、成長の声がそれを無視するよう要求するのである。母親と彼の中にある恐怖は白い壁に近づくなと強制する。ところが成長は命そのものであり、命は光を求めるよう設えてあるのである。そして、彼の中に満ちてくる命の潮を堰き止めるダムはなく、潮は彼が肉を口一杯に頬張るたびに、そして息を吐き出すたびに満ちてくるのだ。
そしてついにある日、恐怖と順法精神は漲る命の潮に押し流され、仔狼は漂うように、そして揺蕩うように出口へと向かって行った。