夢の中で掘り出したもの

2010/02/13 18:05


たしかノーベル賞受賞者福井謙一氏であったと思うが、漱石夢十夜のある物語について述べられたものがあった。その内容が余りに印象的だったので、わたしは終生これを忘れることは無いと思う。

それは、仏像を彫る運慶の仕事振りが余りに鮮やかで、恰も材木の中に最初から仏像が埋まっていて、それを運慶はただ掘り出しているだけのように見えたというものである。
これを、ただの市井の人ではない、最もアカデミックな世界に住み、最も輝かしい業績を上げた人物が取り上げられたのだから、その意味は非常に大きい。
おそらく福井氏自身がこの物語から何かのインスピレーションを得られたのに違いない。

しかし、仮にこの私の推理が的を射ていたとして、氏はいったいどのようなインスピレーションを得られたのであろうか。
わたし自身は、氏のこの言葉をどこで目にしたかあるいは耳にしたか、それさえ忘れてしまっている。ただ、その強烈な印象とともに、わたし自身に閃いたあるインスピレーションが今も結晶することなくきらきら輝きながら澱のように心の中を漂っているのである。

話は変るが、夏目漱石を師と仰いだ芥川も、たしか侏儒の言葉だったとこれもまた記憶に薄いのだが、「人は詰まるところ己の性格通りの運命に出会うのだ」という意味のことを述べている。この言葉もまた運慶の話に似て深く重い。

その芥川が、六の宮の姫君の中に次のような奇怪な話を織り込んでいる。
「ある時雨の渡った夜、男は姫君と酒を酌みながら、丹波の国にあったと云う、気味の悪い話をした。出雲路へ下る旅人が大江山の麓に宿を借りた。宿の妻は丁度その夜、無事に女の子を産み落とした。すると旅人は生家の中から、何とも知れぬ大男が、急ぎ足に外へ出て来るのを見た。大男は唯『年は八歳、命は自害』と云い捨てたなり、忽ち何処かへ消えてしまった。旅人はそれから九年目に、今度は京へ上がる途中、同じ家に宿って見た。ところが、実際の女の子は、八つの年に変死していた。しかも木から落ちた拍子に、鎌を喉へ突き立てていた」

芥川は、作品を書くに当たって主に日本や中国の古書にその題材を得ている。六の宮の姫君の怪談もおそらく今昔物語辺りから着想を得たものであろう。しかし、芥川自身がこのような運命論的な思想の持ち主であったことは間違いないとわたしは考えている。

斯く言う私もまた運命論者である。だから、このような話を好んで書く。
福井謙一氏に話を戻すと、氏もおそらくは、自身のノーベル賞受賞という栄誉について、それが実は最初から運慶の仏像のように埋もれていて、自分はそれを掘り出しただけに過ぎないと述べられているようにわたしには思えるのである。

福井氏に限らず、人というのは皆その人生で何かを掘り出していくものなのではないだろうか。時間という鑿が否が応もなく自分自身の運命を彫り刻んでいく。そして、その掘り出したものを見て、わたしのように愕然とする者もいる。夢のような話だが、一生かけて掘り出したもの、結局それは、よく見てみれば芥川の言うように自分自身の顔だったのである。