西郷隆盛

2010/02/18 18:26


懐疑主義、またはプラクティカル・ジョークについて

芥川に「西郷隆盛」という小品があり読んでみると非常に面白い。筋はざっと以下の通りである。

「私」の大学の先輩に史学をやっている本間という男がいた。この男の専門は明治維新史であり、春休みを利用して一週間ばかり京都へその研究かたがた旅行をした。その旅行では、肝心の成果が上がらなかったが、帰りの汽車の中で西郷隆盛についての奇妙な体験した、という話である。

ところで、芥川が生きた時代(芥川は明治25年生まれ)は、西郷が活躍した時代(西郷は明治10年に自刃を遂げた。享年49歳)とは半世紀と離れていない。当然のことながら、芥川にもこの巨人に対する非常な関心があったことは間違いない。

しかし、この小品の主題は西郷隆盛の人物像や業績についてなどではない。
話を続けると、本間が2等席の窮屈なことに辟易して食堂車へ移り、そこで白葡萄酒を注文したことから話が展開するのである。

場面は、汽車がおそらく米原から岐阜県の境に近づいたあたりで、外は午後9時頃とあって真っ暗。氷雨が汽車の窓を打って、単調な車輪の音と響きを交わしている。

本間は、その食堂車の中で奇妙な紳士と出会う。名のある学者と思しきその男は一人静かにウィスキーを舐めている。
本間もその老紳士の顔をみておやっと思った。何処かで見たような気がしたからである。しかし、いくら胸の内を探り当てても一向にその紳士の名前が浮かばない。そうしているうちにその紳士の方から声をかけてきた。

しばし会話を交わし本間のことを知ると、老紳士は、
「ははあ、史学。君もドクタア・ジョンソンに軽蔑される一人ですね。ジョンソン曰く、歴史家はalmanac makerに過ぎない。」などと言う。
そして、さらに
「君の特に研究しようとしているのは、何ですか。」と聞いてきた。
「維新史です。」
答えながら本間は、なんだか口頭試験を受けているような気持ちになってくる。この老紳士の口吻には、人を追及するようなところがあって、それが自分を飛んでもない所へ陥れそうな予感に襲われる。
西南戦争を問題にするつもりです」と本間が答えると、
男はウィスキーをもう一杯注文した後、
西南戦争ですか。それは面白い。・・・」と話を始める。そして「あの戦争には随分と誤伝があって、しかもそれが立派に精確な史料で通っている。だから、余程史料の取捨を考えないと、思いもよらない誤謬を犯すから、君も第一にそこへ気をつけた方が好いでしょう。」と言うのである。
本間は、ええと答えたものの、本当にこの忠告を感謝していいものかどうか判然としない。
そこにウィスキーが届き、老紳士は、それでちょいと喉をうるおすと、瀬戸物のパイプを取り出してそれへ煙草を詰め始める。
「尤も気をつけても、あぶないかも知れない」などと言い出す。「こう申すと失礼のようだが、それ程あの戦争の史料には、怪しいものが、多いのですね。」
「そうでしょうか。」
本間は、だんだん堪らない気持ちになってきて、「いい加減な駄法螺を聞かせられて、それで黙って恐れ入っていては、制服の金釦に対しても、面目が立たない」と考える。
そこで、老紳士に挑戦状を送るわけである。

「いったい、あなたはどう云う理由で、そうお考えなのですか。」と。

すると、紳士は、
「政治上の差障りさえなければ、僕も喜んで話しますが――万一秘密の漏れた事が、山縣公にでも知れて見給え。それこそ僕一人の迷惑ではありませんからね。」というと、本間の顔を探るような眼で眺めた。
そして、本間の侮蔑の表情に今気が付いたかのように、
「もし君が他言しないという約束さえすれば、その中の一つ位は洩らしてあげましょう。」と顔を近づけ酒臭い息を吹きかけた。

本間は、一瞬この男がき○○○ではないかとの印象をもったが、よくよく見てみると、老紳士の眼は、聡明で、いつも微笑を送っているような朗然としたものである。
本間は、その眼とその向こうの言動との間の矛盾を訝しく思わざるを得ない。
紳士は、そのような本間の思いに気が付かないように、次のような驚くべきことを口にするのである。

「細かい事実の相違を挙げていては、際限がない。だから一番大きな誤伝を話しましょう。それは、西郷隆盛が、城山の戦いでは死ななかったと云う事です。」
本間は、これを聞くと笑いがこみ上げて来た。その笑いを抑えるのに煙草へ火をつけながら、わざと真面目な声で「そうですか」と調子を合わせた。そして、もうその先を尋きただすまでもない、この男は無邪気な田舎翁の一人だと断定する。

しかし、老紳士の方は、次のように寧ろ昂然と本間を一瞥する。
「しかもあの時、城山で死ななかったばかりではない。西郷隆盛は今日までも生きています。」

それに対して、本間は自分の持てる知識を存分に行使して反論する。しかし、
「成程。或る仮定の上に立って云えば、君の説は正しいでしょう。」と老紳士に切り返されるのである。
「そうして、その仮定と云うのは、今君が挙げた加治木常樹城山籠城調査筆記とか、市来四郎日記とか云うものの記事を、間違いのない事実だとする事です・・・しかし僕はあらゆる弁護を超越した、確かな実証を持っている。君はそれを何だと思いますか。」
本間が煙に巻かれていると、
「それは西郷隆盛が僕と一しょに、今この汽車に乗っていると云う事です。」と老紳士が厳粛な面持ちで云い切ったのである。

そういうわけで、本間は老紳士と共に「もう一等車内で寝ておいでになるだろう」という西郷隆盛を見るために一つ前の一等車へと向った。

それから10分後、本間と老紳士は再び食堂車のテーブルに白葡萄酒とウィスキーを前に腰掛けている。
「どうですね。これでもまだ、君は城山戦死説を主張しますか。」
当惑する本間を前に、老紳士は言葉を繋げる。

「しかし、一体君の信じたがっている史料とは何か、それから先ず考えて見給え。城山戦死説は暫く問題外にしても、凡そ歴史上の判断を下すに足る程、正確な史料などと云うものは、どこにだってありはしないのです。誰でも或る事実の記録をするには自然と自分でディテエルの取捨選択をしながら、書いてゆく。これはしないつもりでも、事実としてするのだから仕方がない。と云う意味は、それだけもう客観的の事実から遠ざかると云う事です。・・・」
そして、狄青が濃智高の屍を検視した話などを引き合いに、「・・・ところが遺憾ながら、西南戦争当時、官軍を指揮した諸将軍は、これ程周密な思慮を欠いていた。そこで歴史までも『かも知れぬ』を『である』に置き換えてしまったのです。」
要するに老紳士は、西郷隆盛の死体は替え玉だったと仄めかしているのである。

さて、この話のラストだが、

愈愈どうにも口が出せなくなった本間は、
「しかし、そんなによく似ている人間がいるでしょうか。」と反駁を試みる。
すると老紳士は、煙草の煙にむせながら、大きな声で笑い出した。
その大きな笑い声に向こうのテーブルにいた芸者がわざわざ振り向いて怪訝な顔を送る。しかし、老紳士は笑い止まない。片手に火のついたパイプを持って、喉を鳴らし鳴らし、笑っている。
本間が何が何だか分からなくて、茫然と唯、相手の顔を眺めていると、
「それはいます。」と老人は暫くしてから、やっと息をつきながら云った。
「今君が向こうで居眠りをしているのを見たでしょう。あの男なぞは、あんなによく西郷隆盛に似ているではないですか。」
「ではあれは――あの人は何なのです。」
「あれですか。あれは僕の友人ですよ。本職は医者で、傍ら南画を描く男ですが。」

そして、最後に、本間が
「先生はスケプティックですね。」と云うと、
老紳士は、あの朗然とした眼で頷き、
「僕はピルロンの弟子で沢山だ。我々は何も知らない、いやそう云う我々自身の事さえも知らない。まして西郷隆盛の生死をやです。だから、僕は歴史を書くにしても、嘘のない歴史なぞを書こうとは思わない。唯如何にもありそうな、美しい歴史さえ書ければ、それで満足する。僕は若い時に、小説家になろうと思った事があった。なったらやっぱり、そう云う小説を書いていたでしょう。或いはその方が今よりよかったかも知れない。とにかく僕はスケプティックで沢山だ。君はそう思わないですか。」

以上である。何も言うことはない。ただ、わたしはこの芥川のようなプラクティカル・ジョークというやつを一度でいいからやってみたいと念願しているとだけ言っておこう。