マクロとミクロ

2010/02/26 23:17

今日は一日中風が吹き雨が降ったり止んだりという天気だった。誰が言ったか、ほんとに雨の降る日は天気が悪い。

ゲーテは、気圧と人の気分とに大きな関係があることに気が付いていた。今でこそ当たり前のような話だが、当時の科学的環境でこれに気が付いたのはさすがと言うべきではなかろうか。まさに明察である。
ところで、なぜ気圧が人間の気分に影響を及ぼすのだろう。諸説ありそうだが、一つにはNO(酸化窒素)の生成と関係があると思われる。気圧が高いと、血液中における窒素分圧も高くなり、これがNOの産生を促すのではないだろうか。NOは血管を拡張させ、血圧を低く誘導するとともに神経にも影響してハイな気分にさせることが分かっている。

天気に話を戻すと、雨雲がなぜ出来るかという一見簡単そうな小学生の理科レベルと思われた問題が案外一筋縄ではいかない複雑系の問題である事が最近になってようやく分かってきたらしい。

雨が降る降らないは、どうやら地球レベルの問題ではなくて、宇宙という視点で捉えなくてはならないものなのだそうだ。
南極では吐く息が白くならない。これは空気が余りに綺麗で呼気中の水蒸気が結晶するのに必要な種、芯になる埃がないからだ。
これと同じで、高空の水蒸気が結露して霧になるにも種が必要である。その種を作り出すのが地球から遠く離れた天体からの放射線なのである。
このように、地球上のごくありふれた現象にまで遥か彼方の星が影響を及ぼしている。これは考えてみれば凄いことである。

「木を見て森を見ず」とか「森を見て木を見ず」とかよく言うけれども、上に述べたことをこれに当て嵌めるなら、気象学者はこれまで「木を見て森を見ていなかった」ということになるのであろう。
言い換えれば、視野が狭すぎて肝心なことが見えていなかったのである。

話は変わるが、世の中には顕微鏡的な物の見方をする人と望遠鏡的な見方をする人がいる。尤も、これはわたしが勝手に人間を2種類に分けただけで、顕微鏡的な人がいつも顕微鏡的な見方、考え方をしているわけではない。その逆もまた同じである。

そして、自分で言っておいて何だが、この顕微鏡的、望遠鏡的という見方も実に曖昧模糊としたものである。なぜなら、例えばいま宇宙人が宇宙船に乗って日本上空3万6千キロメートルであなたの禿頭に髪の毛が何本あるか数えているとしよう。
これは顕微鏡的な見方であろうか。それとも望遠鏡的な見方であろうか。
おそらくこの宇宙人は望遠鏡を使ってあなたの禿頭を覗いているはずである。しかし、これは科学者や医者が顕微鏡を覗いて細胞や細菌を観察しているのとどう違っているのだろう。

とにかく、この問題はもう少し整理が必要なようなので今晩はゆっくり寝て、また後日取り上げようと思う。