政治は二流の仕事

2010/04/06 18:59

本日付産経新聞の正論を読んだ。「国民の士気鼓舞しない鳩山政権」というタイトルのものである。

これの論者である東洋学園大学助教櫻田淳氏は、政治は「二流の仕事」であると断じておられる。政治は二流の仕事と言うのは、日本のという意味ではない。あくまでも政治そのものが主語である。

しかし、これはどういうことか。これは、鳩山政権において実施された「事業仕分け」であるが、その第2弾が始動されようとしている。これに対する牽制としての上の言葉なのである。

氏は、「事業仕分けにより、学術、芸術、スポーツといった各界から反発や当惑の声が上がった。特にスーパーコンピュータ開発に代表される科学技術予算の縮減に際しては、野依良治博士(理化学研究所理事長)をはじめとする「日本の偉才」が一斉に反発の声を上げた。野依博士は、予算縮減の動きを前に、『歴史の法廷に立つ覚悟はできているのか問いたい』と批判した。」とし、

「こうした『政治』とは最も遠い位置にある自然科学系研究者が、予算配分の有様を問い質す『政治』の前面に姿を現さざるを得なかった事態は、過般の『事業仕分け』作業が及ぼした波紋の大きさを物語っていよう。」と述べておられる。

ところで、氏は政治学者である。その政治学者がウィンストン・チャーチルの最晩年に発したという「結局、自分には何も成し遂げられなかった・・・」との言葉を上げ、「政治とは壮大な無駄である」とされているのである。
そしてさらに、

「壮大な無駄である政治が意味を持つ所以は、それが実現する社会の安定や繁栄の下で、多くの人々が多様な活動を繰り広げ、その活動の中から「永遠の生命」を持つ学術、芸術上の業績が残されるであろうという展望にある。」と政治学者としての知見を述べられている。

つまり、「政治は二流の仕事」であるとは、あくまでも一流のものである学術や芸術をより活性化し成果を生み出そうという目的のための手段に過ぎないという意味のものなのである。

ところが、これはわたしの感想であるが、確かに言われてみればその通り、鳩山政権ではこれが主客転倒してしまっているのである。

「政治家は、自ら手掛ける政治の営みが『永遠の生命』に結び付かない現実を凝視し、その故にこそ、偶々、手にしている当座の『権勢』を用いることには謙虚でなければなるまい。『永遠の生命』を持つ業績を残す学術、芸術の活動に比べれば、政治は所詮、『二流の仕事』でしかない。」と、氏は大変手厳しい、しかし政治学者としてのまさに正論をもって締めくくられている。

実に溜飲の下がる思いのする主張である。