日本人と英語

2013/03/12 09:51


マーク・ピーターセンという人の「日本人の英語」を読んでいて、その第4章に「間違いの喜劇」単数と複数 25通りの可能性 と銘打ったのがあって、これはとても面白かっ
た。

間違いの喜劇というのはもちろんシェークスピアの”The Comedy of Errors”のことである。

さて、ここで問題である。作者が言う25通りの可能性とは何だろう。
察しの言い方はお気づきと思うが「間違いの喜劇」を英語訳
した場合に、喜劇だけでも

(a comedy, the comedy, comedy, comedies, the comedies)と5
通りの置換があり、また間違いの方にも同様に5通りの置換が
あるので、これらの組み合わせは25通りにもなる、というこ
となのである。

つまり作者の言わんとするところは、「英語の名詞と日本語の名詞が概念的に極めて不均衡な関係にあり、そのために、英語から日本語に行くより、日本語から英語に行く方がよほ
どむずかしいような気がする」ということである。

上は首肯すべき意見であるとは思うものの、やはり違和感を拭えない。なぜなら、言語というのは極めて相対的なものと考えるからである。相対的というのは、アメリカ人にとっ
て日本語が難しいなら、同じように日本人にとって英語は難しいはず、という意味である。

わたしは、日本語というのはその言外に多く意味を持つ言葉であると考えている。
というより、日本人というのは、言外の意味を汲み取ることに長けた国民だと思うのである。