右脳と左脳

2011/10/22 19:44


日本語というのは、ある言語学者の説によるとタミール語と非常に近いんだそうです。
また、日本人というのは、他の言語圏の人たちが雑音としか感じない秋の虫の声に詩情を覚えるという世界でも極めて珍しい民族だそうです。そして、どうやらその秘密は日本語にあるそうです。なぜなら、日本語というのは、詩情を感じさせる右脳優位な言語だからです。

話は飛びますが、先日、山岡賢次という胡散臭い男について書いていて、ふと思ったことがあります。
この胡散臭さというものの正体についてです。胡散臭さというように、臭さですから、これは臭いですよね(わたし、なに当たり前のこと言ってるんだろ)。
でも、この臭いってやつは、「失われた時を求めて」を書いたプルーストではありませんが、ふと嗅いだ香水の匂いに遠い昔、母の鏡台で悪戯したことを思い出させてくれたり、麦わら帽子の匂いに亡くなった祖父を思い出して懐かしくなったりと、原始的でありながら非常に高尚な感情と結びつくものでもあります。また理性では決して善とも悪とも判断のつかないものをいとも容易く解決してくれるものであったりします。要は、胡散臭さにしても高慢ちきにしても、こういうものは鼻でしか分からないのです。

で、山岡賢次さんでしたが、このひと、れっきとした民主党の国会議員で、国家公安委員長までやりました。それだけ地元の信頼が厚いということになります。
で、え? と、わたしなんかはここで思うわけです。なんで、こんな詐欺師みたいな男が~、と。

それで、もう少し考えてみたんですが、これは・・・、こういった、人間の胡散臭さを見極めるなどということは、きっとお利口な人ほど、つまり左脳使いほど出来ないことなんじゃ中廊下と。きっと、わたしなんかのような、少々お馬鹿でいつも勘に頼って生きている右脳使いの方が人を見抜く力ってのがあるんじゃ中廊下と。ほら、刑事のことを犬って言うでしょ。右脳人間って、きっと鼻の利く刑事のような人のことだと思うんですよ。

でも現代文明というのは、左脳を使うことばかり多くて、直感や審美などといった右脳の得意な能力を使う機会が少なくなってしまった。そのせいかどうか、どうもわたしには鼻の利かない人が増えてしまったような気がしてしようがありません。