手布(ハンカチ)

2010/06/22 17:34


芥川龍之介に手布という小品がある。これはさらっと読んでしまったのでは、その味わいは半減すると言っても良い。なぜなら、ここに描かれているのは、芥川の冷徹な目が捉えた新渡戸稲造だからである。
もちろん、作中では新渡戸ではなく、長谷川勤造となっている。しかし、この先生はアメリカに留学をし、そこでアメリカ人を妻に娶っている。さらに、次のような行がある。
「・・・先生の信ずる所によると、日本の文明は、最近五十年間に、物質的方面では、可成顕著な進歩を示している。が、精神的には、殆ど、これと云う程の進歩も認める事が出来ない。否、寧ろ、ある意味では、堕落している。では、現代に於ける思想家の急務として、この堕落を救済する途を講ずるのには、どうしたらいいのであろうか。先生は、これを日本固有の武士道による外はないと論断した」とある。

この作品のテーマは極めて明瞭で新渡戸稲造批判である。いや、芥川は、今長谷川勤造が読んでいるストリントベルクの作劇術(ドラマツルギー)に託けて、新渡戸の「武士道」を茶化しているのである。

話の筋はざっとこうである。時期はおそらく日の長い丁度今くらいであろう。ベランダの籐椅子にかけ、長谷川教授はストリンベルクを読んでいる。そして、その警抜な一章を読み終えるたびにその布表紙の本を膝の上に置いて、ベランダに吊るした岐阜提灯の方を見やっている。
長谷川教授は、そういう風にして日本の文明について思考を巡らしている。しかし、作者である芥川は、ここで長谷川教授が演劇とは風馬牛の間柄であることを暴露している。実は、長谷川教授は日本の芝居を殆ど見たことがないのである。

それはともかく、そこに女性客が訪れる。小間使いが教授に渡した名刺には西山篤子とある。教授には心当たりがない。訝りながらもその名刺を読みかけのストリンベルクに栞代わりに挟んで応対する。

客は、西山憲一郎という教授の許にしばしば出入していた学生の母親であった。母親の話では、西山憲一郎は腹膜炎を患い亡くなったのだという。昨日がその初七日だったというのだ。

この小品の注目点は、この母親の教授との接し方にある。母親は、大変な不幸の最中にあるにも関わらず、教授に対して何事もなかったかのごとく、にこやかに極めて平静に対話している。
しかし、何かの拍子で教授が手にしていた団扇がテーブルの下に落ちたとき、教授はそれを拾おうとして、彼女の手が激しくふるえていることに気がつく。しかもその両の手に握られたハンカチを引き裂かんばかりに堅く握っているのだ。

それから二時間の後、教授は湯を浴び、晩飯をすますと、食後の桜実をつまんで、それから又、ベランダの籐椅子に腰を下ろした。
教授は、妻に先の一件を話した後である。妻もこの話は熱心に聴いてくれた。
それから教授は、ある雑誌から寄稿の依頼があったことを思い出す。その雑誌は「現代の青年に与うる書」と題して、四方の大家から一般道徳上の意見を徴していたのだ。教授は、今日の出来事を材料にしようと考えた。

その手元には名刺を挟んだストリンベルクの本がある。その名刺を挟んだところに目をやる。丁度、小間使いが頭の上の岐阜提灯に灯を入れたので、細かい活字もさほど読むのに煩わしくない。

――私の若い自分、人はハイベルク夫人の、多分巴里から出たものらしい、手布のことを話した。それは、顔は微笑していながら、手は手布を二つに裂くと云う、二重の演出であった。それを我等は今、臭味(メッツェン)と名づける。

教授は、その部分を読んで、いささか心を乱されるのである。そこには、湯上りののんびりとした心もちを擾そうとする何者かがあったからである。武士道と、そうしてその型(マニイル)と――。


新渡戸稲造の「武士道」は、各国語に翻訳されルーズベルト大統領も知人に薦めたというほどの書だが、当時の日本には、芥川のように批判で応える者も多かったことが伺える。実際、多くの批判書が出ている。

新渡戸の唱える武士道も、やはり彼我では捉えられ方が違うのである。海外では絶賛されているのに国内では相当の批判に晒されている。もちろん、それにはそれなりの理由がある。第一に新渡戸が武士道の本質について本当に良く理解していたかに大いに疑問が残る。
おそらく芥川は、長谷川教授が芝居を殆ど見たこともないくせにストリンベルクの演劇論を読んでいるという設定に痛烈な批判を込めているのであろう。