無窮について

2010/07/04 19:57


小学生の頃、宇宙には果てがあるかどうかを家族と、そして級友たちとよく議論した。そのころ(1960年代)、宇宙が膨張していることは既に明らかにされていた筈である。しかし、わたしも家族も級友たちもそのことを知らなかった。だから、たとえばAは次のように宇宙の無限を主張した。
「もしも宇宙に果てがあったとしても、その果ての先には何かがあるはずだから、宇宙は無限ということになる」
このAの論理に理論的に反証できる者は残念ながら誰もいなかった。

それから40数年が過ぎた今も、わたしはAの詭弁のような論理に反証できないでいる。
宇宙の果ては光の速さで遠ざかっている。このようなことが一般に知られるようになった現在でも、それでは宇宙には時間的な果てはあるのかという疑問が依然として付きまとう。つまり、宇宙は永遠にインフレーションしていくのだろうかという疑問である。それとも、0と∞はいつかくっつくのだろうか。

孫悟空は、金斗雲に乗って宇宙を自由自在に駆け回ったが、気がついてみたら、お釈迦様の掌から一歩もでていなかった。これなどは、宇宙に果てがないということを示唆している話のように思えてしようがない。
光より速いものが理論的にありえない以上、結局は宇宙の果てを極めることなどできない。せいぜい、わたしたちは思考という金斗雲を駆使して、極めて安全なアドベンチャーを試みるのが関の山であろう。

繰り返すが、宇宙の果てはどうなっているのであろうか。わたしは、子供の頃、布団の中でいつもこんなことを考えていた。それは、いつも死の観念とワンセットだった。こんな風に書くと、いかにも子供の頃は哲学者的な優等生だったと思われるかも知れないが、勉強は苦手で、したがって成績も悪く、故にますます勉強が嫌いになるという悪循環に陥っていた。しかし、思考の翼だけはいつも準備万端、いつでも飛び立つ準備が出来ていた。

わたしは、寝るのが怖かった。年寄りみたいな子供だった。もしも、あした眼が覚めなかったらどうしよう。もしもわたしが明朝死んでしまっても宇宙はそんなことにはまったく関わりなく存在するのだろうか。そうだとすると、いったいわたしは何のために生まれてきたのであろうか。
太陽が赤色巨星化して地球を飲み込んでしまった後も、生き物という生き物がすべて滅んでしまった後も、宇宙は永遠に存在するのだろうか。人間は、もう一度、生まれかえることはないのだろうか。しょっちゅう、こんな詰まらぬことを考えていたのである。いや、今になって思うに、それがわたしにとっての睡眠導入剤だったのだ。

「死」は宇宙観とワンセットだったと書いた。この考えは今でも変わらない。ひとは、おそらく太古の昔から、夜空を眺め、その壮大な星たちを浮かべた暗黒の海に神秘的な永遠を感じ、自分たちの命の短さを嘆じたに違いない。それは、たとえば土井晩翠作の「荒城の月」にも顕著に現れている。

三島由紀夫は、「豊穣の海」の原稿を出版社に届けた後、市谷で自刃を遂げた。豊饒の海のバックボーンにあるのは輪廻転生の思想である。わたしは、このことを考えたときに、死を決意した三島になおこの世に対する未練があったような気がしてならない。いや、それはそうであろう。三島は、世間的にはまったく死ぬ理由がなかった。鬱病というのでもなかった。世間的には大成功を収めた超一流の芸術家であり、結婚もし子供ももうけた。愛する母親を残して死ぬる理由など誰にも考えられなかった。
三島は生の一回性を強く意識した作家だった。しかし、それでも輪廻転生などという強弁的な、死の恐怖に慄く自らを鼓舞するためとしか思えぬ死生観に自らを浸らせ、敢えて自刃を図ったのである。

わたしは、三島に「美しい星」というSF小説がただ一遍だけあることを見過ごす気にはなれない。三島は、いっとき自宅に天文台を拵え、UFO探索などという酔狂じみたことに熱中したことがあったという。これなども、やはりわたしには、三島自身の己の死に様に対する予感的確信と、その恐怖に対する反作用的な意識の現われではなかったかと思えるのである。

こうやって考えてみると、やはり宇宙観というものは、「死」を意識の底から片時も払拭できない人間の不条理さとワンセットではないだろうか。
不条理と言えば、「豊饒の海」の結末も不条理そのものである。いや、そのタイトルからして不条理を予感させるものであるといってよい。なぜなら、豊穣の海とは、豊穣とは言うものの、あの月の、水も魚も住まぬ暗黒の部分のことだからである。だから、読者は、この終わり方は何なんだと怒りを感じてはいけない。最初から予定されていた結末なのである。

何ゆえに物理学者は、あるいは天文家は、いやすべての人は宇宙を探求するか。宇宙は永遠で人の生は一瞬だからである。