後知恵について

2010/06/28 23:53


太陽について考えていて、ふとこんなことを思いついた。
E=mc^2は、アインシュタイン特殊相対性理論から導き出せる数式である。これは質量とエネルギーの等価原理とも呼ばれる。

ところで、なぜこの式には光速などという、一見エネルギーとは無縁のものが鎮座ましましているのだろうか。このような疑問を抱くのはわたしだけであろうか。

いや、そんなことはどうでも良い。話が難しくなるから止めておこう。わたしが思ったのは、なぜ、こんなことが、アインシュタイン特殊相対性理論を唱えるまで発見できなかったのかということなのである。こう言うと、すごく偉ぶって聞こえるかも知れないが、もう一つ偉ぶりついでに言わせてもらうなら、なぜ、宇宙が膨張しているということを、あの難解な一般相対性理論を完成させたアインシュタインでさえも気がつかなかったのであろうか。
さらにもう一つ。なぜ、ガリレイピサの斜塔から物を落としてみなければ落体の法則(物体はその重量に関係なく同じ速度で落下する)を発見できなかったのであろうか。

いつものように話は飛躍をするが、ケン・フォレットの中世を描いた小説にThe Pillars of The earth というのがある。この中で、おそらくこれは作者自身の実体験によるものであろうと思うのだが、主人公のジャック・ビルダーの小さな息子が大小さまざまな椀を使って遊んでいて、小さな椀の中に大きな器を入れようとして悪戦苦闘しているシーンがある。大人から見れば非常に愚かな行いだが、その頃の子供にとっては、おそらく大小という観念は大変難しいものであるに違いない。小さなものに大きなものがなぜ入らないか、これを理論的に説明しろと言われれば、大人でもかなり手こずるに違いない。(小さな猫のような動物が勇猛果敢に人間などに襲い掛かったりすることがあるが、これも案外大小の観念の欠如による匹夫の勇というべきものなのかも知れない)

何が言いたかったか。わたしは、先に述べた質量とエネルギーの等価原理は、太陽と地球との距離が少しずつ離れてきているという事実により気がつくことが出来たのではないかと思うのである。すなわち、太陽は莫大なエネルギーを絶えず放射しているわけであるが、このことによって自らの質量を少しずつ失っている。また、このことにより太陽の重力はごく僅かづつとはいえだんだん弱くなってきており、その結果、地球は太陽から少しずつ遠ざかっている。

そして、二つ目に上げた宇宙が膨張しているという事実は、何も一般相対性理論によらなくとも夜空を見上げるだけで分かるはずである。宇宙が膨張していなければ、夜空は目も向けられないほど眩しいに違いない。もちろん、これには秀でた洞察力が必要かも知れないが、なぜ夜空は暗いのだろうという疑問を持ちさえすれば、それほどの困難を要せずに正解に辿りつけたはずである。

そして三つめ。ガリレイは、ピサの斜塔から重量の違う物を落とす必要さえなかった。なぜなら、思考実験だけで結論は導き出せたはずだからである。例えばボーリングのボールを落とすとする。このボールが壊れてしまっていて、形は丸いままだが、ちょっと触れただけでばらばらの大小の破片になってしまうとする。静かに高いところから落としたとして、破片のうち重いものが先に落ち軽いものが後になるとすれば、このボールは空中でばらばらになってしまうはずである。あるいは、ゴルフボールでもよい。たくさんのゴルフボールを飯粒かなんかで軽くくっつける。10個ほどくっつけたゴルフボールを落とすのと一個のゴルフボールを落とす違いは何もないはずである。

こういう風にして考えていくと、わたしたちは余りに常識というか、日々の惰性に侵されてしまっていて、ジャック・ビルダーの幼い息子のような、何でも試してみよう、考えてみようという態度から非常に遠くなってしまっているのではないかと思うのである。