皮肉について

2010/07/26 22:59


以前にKYについて書いたことがある。KYとは安全に関する用語で「危険予知」という意味である。これと今ふつうに使われている「空気読めない」KYとの関係について書いた。

世の中には空気が読めない人が思いのほかたくさんいる。空気が読めないとどういうことになるか? ちょっとばかり例題を挙げて考えてみよう。
特急電車のグリーン席。N会のメンバー男女5人がT駅から乗り込んだ。殆どの席が埋まっている。ところが、KY君は目ざとく空席を見つけた。1,2,3・・・と数えていくと丁度5人分空いている。
「あそこに座ろう」と言うや否や、彼はずんずん前へと進んでいく。残る4人も何か?を感じながらもKY君の後に従った。

席は、たしかに通路の右側に4人分。そしてその隣の通路の左側にも一つだけ空いていた。ただ、その空席にはパースのような小さな鞄が3つまとめて置かれている。そして、向かい合わせにしたその席には・・・、いかつい顔つきをした、いかにもその筋の者という感じのごつい男が3人、缶ビールを飲みながらでかい声で談笑している。
しかし、KY君にはその空気がまったく分からない。
「あの。ちょっと、すみません。ぼくたち5人なんで、申し訳ありませんが、その鞄を置かれた席に一人座らせていただけませんか」とにこやかな顔をして丁寧に話しかけた。残る4人は、はっと青ざめた。「なにを・・・こいつはばかなことを」と思ったが、もう遅い。
「おお、ええで。そやけど、誰が座るんや。わしやったら、そのスマートなねぇちゃんがええけどなぁ」と、つるつるの坊主頭に真っ黒な顎鬚を蓄えた男が笑いながら言った。上等のダークスーツに桜色のネクタイがひどく目立つ。
「そうですか。それではMさんにこの席に座っていただいて、ぼくたちは4人隣の席に座るとしましょう」
KY君は、交渉成立を心から喜んでいるが、Mさんはもちろん、他の3人の顔色は冴えない・・・。

とまぁ、KYの者が仲間内に一人いると、いつこういう危険に出くわすかも知れないという参考のつもりで話をでっち上げてみた。つまり、KY(空気読めない者)がいると、いつもKY(危険予知)に心を配らなければならないということである。

ところで、わたしは最近、皮肉のまったく分からない人というのがいることに改めて気付かされた。
わたし自身、皮肉は嫌いである。いや、実は好きである。言われるのは嫌なのだが、言う分には大好きなのである。
皮肉は、英語ではシニカルとかシニシズムなどと言う。これは犬の歯、つまり犬歯から来ている。これはいったい何故だろう。犬も喰わぬような肉を皮肉と言うのだろうか。
いや、そんなことはどうでも良い。はやく本論に入ろう。

いつも遅刻してくるHW君が珍しく今朝は早く学校に出てきた。
「どうしたんだ。何かあったのか」と先生が尋ねる。もちろん、誰にだって皮肉だと分かる。しかし、HW君にはこれがまったく通用しないのだ。
「え? いったいなんでですか」と先生に怪訝そうな顔を向ける。

あるいは、23歳のHWさんの場合。電車の4人向かい合わせの席で毎朝、お化粧に余念がない。ふと目の合った斜向かいの中年の女性が
「毎日御精が出ますわねぇ」とついつい笑いながら言ってしまった。
「ええ。女性にとって、身だしなみは大切ですものね」と済まして宣まった。

思うに、皮肉の分からぬ人というのは、自己愛がものすごく強い人なのだ。おそらく、まさかこの俺様が人様からからかわれるなど金輪際あるわけがない、というほどのナルシストなのに違いない。
まったく、宮沢賢治ではないが、このような人にわたしはなってみたい。なぜなら、このような人には絶対に挫折はないだろうから。何を言われようとすべて褒め言葉に聞こえるとは、なんと言うすばらしい才能であることか。
人の皮肉も忠告も諌言もものともせず、強引マイウェイで突き進む。なんという逞しさ。まるでブルドーザーか戦車のように突き進むのだ。
いやぁ、わたしには新たな研究課題が増えたと喜ぶべきであろう。