素数ゼミ

2010/08/29 15:00


夏もいよいよ終わりに近づいたようで、家の近所でも蝉が最後の力を振り絞るかのように鳴いている。ミーンミーンミーンと鳴く油蝉はその名からして非常に暑苦しさを感じさせるが、ツクツクホウシの声を聞くようになると秋が近いという気にさせられる。
わたしはこの頃になると、フランク・シナトラの「カプリ島」という曲を思い出す。夏の終わりのカプリ島を歌ったもので、元はフランスのシャンソンだったらしい。

蝉に話をもどすと、良く知られるように蝉はその一生の殆どを地中で過ごす。晴れて日の光を見るのは、巷間に言う7年間ものアングラ生活を送ってからのことである。こんなふうに考えてみると、彼らがわが世の春ならぬ盛夏を騒々しく歌いたくなる気も分からぬでもない。わずか数週間程度しか日の目を見ないで死んでいくのであるから。

たった今、7年間と言ったばかりだが、蝉の中には13年間、あるいは17年間も土の中で過ごすものも存在する。13も17も素数であるから、これらの蝉は素数蝉と呼ばれる。
なぜ素数なのか、という疑問が当然に起きてくる。もっとも常識的と思われる答えは、素数年毎に発生すれば、一時に大量発生することのリスクを減らせるということである。
13年蝉を例にとるなら、理論的にはaからmまで13の蝉群がいることになる。それぞれが13年ごとに地上に出てくるわけだから、今年はc群の蝉であったとすれば、来年はd群の蝉ということになり、決して複数の群が同じ年に大量発生するということはない。
また、仮に17年蝉と13年蝉がa群とa'群の2種しかいなかったとして、これらが重なり合う確立は1/221となる。7年蝉との同時発生を考えても、13年蝉と重なり合うのは91年毎となり、たとえばこれが4年と8年であればどうなるかを考えると、素数年毎に地上に出てくるということは非常に理に適ったことと思える。

ところで、タイトルを蝉ではなくゼミとしたのには理由がある。
そう、素数の話をしたかったからである。素数には深遠な意味がある、といかにもしたり顔で日記に書いたことがあるが、実はわたしには何も分かってはいないのだ。分かってはいないのだが、リーマン予想との関係から、素数というものが将来宇宙観をすっかり変えてしまうことになるほどの謎を秘めたものであることは、何とはなしに分かるのである。

その素数についてだが、前世紀末にようやく解決を見るまでは数学史上最大の難問の一つと言われていたフェルマーの最終定理で有名なピエール・ド・フェルマーが次のような素数を導く式を考案している。

PN=2^2^n+1(PNはすべての素数を表す)

したがって、フェルマーは、nを5としたときに得られる

4,294,967,297も素数であると考えた。

上の式は

PN=2^32+1となり、その計算結果は4,294,967,297であるからである。

しかし、実はこの数は素数ではない。なぜなら、これは、

641×6,700,417に分解されるからである。

これを発見したのは、オイラーの定理、そしてオイラーの宝石で有名なレオンハルト・オイラーであった。

いずれにせよ、未だ素数を導き出せるような数式は見つかってはいない。ただ、コンピュータによる最大の素数を見つけるための挑戦が今のこの時点でも行われている。