ビッグリップ、そして科学の発展について。

2010/09/06 20:45


先日、NHK教育を見ていたら、ビッグリップというのをやっていた。ビッグリップというのは大きな唇という意味ではない。わたしは大口をたたく方だが、大口という意味でもない。ビッグリップとは、Big Bangに対する言葉でBig Ripと書く。

ビッグバンが宇宙の開闢であるのに対し、ビッグリップは宇宙の終焉を意味する。インフレーションの後、星雲もそして星々も砕け散り、最後には素粒子さえもが熱に変わってしまう。宇宙は熱死を迎え、そして無に帰す。
ただし、これは一つの仮説であるらしい。というのは、今の宇宙物理で最も神秘的な謎であるダークエナジーダークマターの増え方次第では、この宇宙のこれからの姿はまったく変わってしまうからだ。

番組でもやっていたが、アインシュタイン一般相対性理論の方程式を完成させたとき、虫垂のようにくっついていた項がある。それはアインシュタイン自身が一生の不覚と嘆いた宇宙項というものである。アインシュタインがこの項を付けた理由というのは、当時の宇宙観そのままに、宇宙を静止したものと考えていたからである。この項をつけなければ、宇宙は果てしなく膨張してしまうのである。
しかし、結局はアインシュタインが嘆いたように、宇宙が膨張していることがほどなくして発見された。一般相対性理論はこのことを予言していたのである。
しかし、アインシュタインの死後さらにどんでん返しのようなことが起こった。それが、冒頭に述べたダークエナジー、そしてダークマターである。
結論から言えば、アインシュタインは一生の不覚とまで嘆く必要はなかったのである。ダークマター、ダークエナジーがほぼ確実に存在することが分かった今、やはり宇宙項が必要となったからである。

さて、ビッグバンやらビッグリップやら、何か途方も無いことがこの宇宙では起こり、また起ころうとしている。恐らく、人類が存在し続ける限り、このような宇宙に関する謎は次々と解き明かされていくであろうが、逆に人類が存在する限り、次々と謎は深まっていくばかりであろう。

ところで、これまで宇宙はユニバースと言われていた。ユニバースはUniverseであり、唯一の物と考えられていた。しかし、やがてマルチバースという概念が普及するようになった。
マルチバースとは、この宇宙と同じような(あるいはまったく異なった)宇宙が無数に存在するという考え方である。
これは、わたしがときどきこの日記にも書いてきた人間原理とも通じる概念である。マルチユニバースの中の一つに過ぎない宇宙にわたしたちは誕生し、そしてこの宇宙について果てしない探求を行っている。まるで、母を捜し求める子供のように。
この宇宙はそのインフレーションのある時期において生命を誕生させた。しかし、他の無数に存在するとされる宇宙に、果たして同様のことが起きているかどうかは調べることさえできない。私たちの想像すらつかないまったく別の世界、現象が起きているかも知れないのだ。

かのパスカルがパンセの中で述べているように、わたしたちの身体を流れる血液の中にも宇宙が存在する。赤血球や白血球の中に銀河が存在しないと誰が断言できよう。わたしたちは、宇宙という巨大なマクロを征する事も出来ないばかりかミクロの世界を理解することさえ出来ないでいる。
結局、パスカルから400年経っても、その科学的思想という面において、人類が大きな飛躍を遂げたとは、わたしにはまったく思えないのだ。