137

2011/02/05 23:20


いま137という本を読んでいる。20世紀理論物理界の巨星パウリと心理学界の巨人ユングの交友を中心に物理と精神世界の関係性について解説したものである。
ヴォルフガング・エルンスト・フリードリヒ・パウリとは、パウリの排他律で知られる天才物理学者のことである。そして、そのミドルネームであるエルンストは高名な物理学者でもありまた哲学者でもあったエルンスト・マッハの名を取ったものである。つまり、エルンスト・マッハは、パウリの一家と深いつながりがあり、彼のゴッドファーザーとなったのである。

そのパウリがこだわった137という数字がこの本のタイトルである。では、この137とはどういう数なのか? 本の帯にはこうある。
「・・・パウリは、チューリヒ赤十字病院に急搬送された。
チャールズ・エンズは次の日に見舞いに行った。
パウリは明らかに興奮していた。病室の番号に気がついたか、とパウリはエンズに訊いた。
「いいえ、気がつきませんでした」とエンズは答えた。
「137号室だ!」とパウリはうめくように言った。
「私がここから生きて外に出ることは絶対にない」。
医師たちが開腹手術をしてみると、すい臓に大きな癌が見つかった。
パウリはこの137号室で12月15日に息を引き取った。
パウリの最後の願いはユングと話をすることだった」

もちろん、この帯はヒキである。137という数字は、キリスト教圏で13が忌み嫌われるのと同様、科学的には何の意味も無い。
しかし、パウリには、上の言葉にも表れているように、ややオカルトチックなところがあった。弱冠にして一般相対性理論の解析でアインシュタインを唸らせたという20世紀の大天才にオカルトの傾向があったことにわたしはむしろ共感を覚える。また、だからこそユングと親しく交友するようになったのではないか。そもそも科学とは神秘主義の嫡出子なのである。かのケプラーにしても、またニュートンにしても神秘主義者であった。

何度も言うが、この本のタイトルである素数137は全くのヒキである。なぜなら、物理学で言う微小構造定数の値は137の逆数であり、また正確には、これは整数ではない。つまり、微細構造定数αは次の式で表される。

α=e^2/hc4πε≒1/137

上において、eは電子の電子量(素電荷)、hはプランク定数、cは光速、εは真空中の誘電率を表す。

したがって、137という数字は、上のように4つの基礎定数から導き出される数値であり、このことに意味がある。

ところで、パウリとユングとの関係が面白い。パウリがユングと知りあい、後に友情にまで発展させたのは、実はパウリの自堕落な生活の末の精神的疲弊によるものだったからだ。パウリは、このために高名な精神科医であるユングの治療を受けることになった。そして、このときから天才物理学者と天才心理学者は、まるで磁石のNとSのように引き合うようになるのである。

ユングは、フロイトと袂を分かってからは、独自の精神分野での開拓を始めた。それは今日、集合的無意識とか原型(アーキタイプ)、あるいは共時性シンクロニシティ)などの言葉で知られる広大な精神の裾野を切り開くものであった。
 
二人の巨人(ユングは肉体的にも巨人であったが、パウリは小男だった)が年齢的にはずいぶんと離れていたにも係わらず友情を結ぶことができたのは、ユングとしてはオカルトチックと揶揄される自らの仕事に根拠を与えてくれる物理学からのサポートを欲していたのと、一方パウリはパウリで自らの精神の危機的状況ということもあり、また仕事の上でも、彼が137という数字に神秘を感じていたように物理の世界と精神世界との関係性に深く注意を向けていたためである。

わたしは、生き物はすべて肉体の進化とともに精神の進化を遂げてきたと考えている。それは、自然の精神(物理や化学)が生命の進化に圧力をかけ、その結果としてその自然の精神に応じた肉体を獲得するようになったと考えるからである。すなわち自然の精神→生物の肉体の進化(変化)→生物の精神の進化(変化)という図式が成立する、と考えるのである。したがって、万物の霊長といわれる人間には、当然に自然の精神が備わっており、その精神が母親を求める幼子のように物理や化学を求め、またそれを理解することが出来るのである、と考えるのである。