物理と精神2

2014/06/22 15:09

上は、「物理と精神」と題して、わたしの考える精神を明らかにしていくために書いたものです。

わたしは、飛躍するようですが、生命というものは肉体の進化とまったく同時(サイマルタニアスリー)に精神の進化も遂げたはずだ、と常々考えています。しかしこれはまぁ、きわめて当たり前のこと、いわずもがなのことであります。ハードが進化すれば当然にソフトも進化せねばなりません。

そうしますと、これは進化ということを例証として上げましたが、物質と精神の間には必ず密接な関係がある、ということになる。

アインシュタイン

「この世界でもっとも不思議なことは脳が世界を理解するということである」

という意味のことを言いましたが、

物事を理解するということは、その物事の中に、あるいは物と物との間の関係にある種の法則性を見出すことであると捉えられますから、わたしたち生命がその法則性により、たとえば内耳の三半規管が3次元の方向性を重力を元に感知できるよう進化した?ように、精神=法則である、ことは当たり前のように、わたしには思えます。また、物事を理解しようという精神活動こそが、生命をこれまで生き延びさせてきた根源であるとも考えるわけです。

したがって、アインシュタインは特別不思議でもないことを不思議であると言っている、ようにわたしには思えます。

鏡の問題は、x,y,zの三つの軸(ベクトル)のうち、いずれかが反対を向くとき、他の二軸は同じ方向を向くという規則性を表していると考えることができます。
上とか下、右とか左という相対的な言い方をせず、数学的にx,y,zで表現すれば、鏡を正面に置いたとき、鏡像A'はAがx方向、y方向に動いたときは、同様にx、あるいはy方向に動きます。ただしAがz方向に動いたときには、A'はAとは反対の方向に動くことになります。

鏡を頭の上に置いたとき、今度はy軸方向が逆に、横に置いたとき、x軸方向が逆になります。

いずれにしましても、わたしは物理や数学の講釈を垂れるほどそれらに明るいわけではありません。ただ、精神とは何ぞや、と考えるとき、それにはどうしてもこの世を支配する法則、原理を抜きには語れない、こういう意味のことを言いたいわけです。

また突飛もない言い方になりますが、哲学にしても、これは人間だけのものではない。生き物である限り、根源的に備わったものであり、これなくしてはその生存さえ覚束なくなるほどに必要不可欠のものである、と考えます。いかがでしょうか?