神について

 

2015/07/11 08:28

 

 

 

今日は、わたしの思う「神」について書いてみようと思います。

 神には宗教的な神もいれば物理学者のいう神もいます。では、なぜ自然科学を探求する学者が神を持ち出したりするのでしょうか。

 おそらくそれは、彼らにとって未解決の問題を表現するのにとても便利だから、に違いありません。

 わたしの思う神についてですが、わたしがちょくちょく好んで使う表現をするなら、彼ら物理学者と同様にコンビニエンスな神であります。

 それでは、未だ解けぬ問題とはどのようなものでしょう。

  それは、あるいは未だに解けぬのではなく永遠に、本質的に解決できない性質のものなのかも知れません。つまり、人類の頭が悪いから解けないのではなく、その問題が内含する本質的な困難さなのかも知れないのです。

 そして、実はこのような、いわば不可知の問題というのはあらゆる学問の分野に広くすそ野を広げているような気がします。

 物理で言えば不確定性原理などがそうですし、数学では有名なゲーデルの不完全原理により、数学そのものが、わたしたちが考えていたほど万能のツールではないことが証明されてしまいました。

 また、生物学の世界においても進化の謎が本当に解明されるかというと大いに疑問が残ります。

 文学や哲学の世界においては、人はなぜ生きるのか、ということが繰り返し問われているような気がします。

 ですから、コンビニエンスな神はどこにでも存在するのです。そして、これらコンビニエンスな神々はまた、不可知であるという点において宗教的な神と何ら変わりはなく、論理の及ばない領域であると定義することもできます。

 さて、話は飛びますが、将来人工知能AIは人間のような意識を持つようになるのでしょうか。もしも意識を獲得するとして、果たして人間のように物理的な現象や数式などに神秘を感じたりするようになるのでしょうか。

 わたしは、人間というのは、生物として、自らを死にゆく運命を持つ存在として自覚するようになったがゆえに、未知のもの、そして不可知にさえ挑もうとしているのだと考えています。これは余談ですが、APPLEのロゴがあの林檎であるわけがよく分かる気がします。意味は目に見える林檎そのものにではなく、齧られた部分にこそあるのであろう、ということです。

  わたしの哲学感につきましては、以前にトピに上げさせていただいたAIは哲学者の夢を見るか、を見ていただければ幸いです。