三年寝太郎

2011/03/21 15:18

今回の地震はM9という途轍もないものだった。これをジュールという単位で表すと、2.00EJ(E:エクサ=10^18)になる。さらにこれを電力量で表すなら、5.56兆kWhになる。地震以降の東京電力の発電能力は最大で3400万kW程度であるから、この二つを分かりやすくするためにお金に置き換えると、3400万円と5.6兆円の違いになる。ただし、東京電力の3400万円は一時間当たりである。そこで、この二つを次のように考えてみるとどうだろう。たとえば、一時間に3400万円を遊蕩に浪費する放蕩息子がいたとする。しかし、個人資産5兆6千億円を持つ親父は蚊に刺されたほどにも感じないであろう。なぜなら、この放蕩息子は一日にたった(!)8億1千6百万円しか使わないからである。そして、このような生活を仮に一年間続けたとしても、たったの2978億4千万円にしかならないからである。

上の数字を見ただけで、改めて今回の地震の、ひいては地球という天体の持つエネルギーの巨大さに驚かされる。地球の内部構造に詳しいわけではないが、地球上には十数枚のプレートといわれる岩盤がマントルの上に乗っかっており、互いに押しつ押されつしているのだという。今回の地震は、三陸沖の太平洋プレートといわれる最も大きなプレートと北米プレートといわれる陸側のプレートとの境界で起きた。海側のプレートと陸側のプレートとでは海側の方が質量が大きいので陸側のプレートの下に潜り込もうとする。この太平洋プレートが潜り込もうとする圧力に押され続けていた北米プレートが耐え切れずに砕けて、バネのように反発したことにより起こったのがこの度の地震だという。そしてその範囲というのは、南北に500km、東西に200kmという途方もないものだった。

ところで、今回は地球という天体の内部エネルギーがほとんど一瞬といっても良い時間に放出されたものであったが、地球表面ではいつもどこかで嵐が吹き荒れ雷が鳴っている。風神は袋の紐を時に一気に開き、雷神は激しく太鼓を打ち鳴らす。そのたびに人々は畏れ、逃げ惑ってきた。天変地異は太古より少しも変わらないのである。

今回の地震による被害には、福島原発のように人災の面を拭いきれないものもある。要は、備えが足りなかったのである。余りに危機管理が疎かだったのである。

わたしは、危機管理における能力とは、常時のただ決められたルーチンをこなしていけば良いといったものとはまったく質の違うものだと思う。今回のような事態に発揮されるのは、三年寝太郎の能力だと思うのである。日本人の常時における職務遂行能力には定評がある。しかし、今回の災害を目の当たりにして、やはり緊急事態が起きたときの日本人の対処能力には限界があるということがはっきり分かった。今回の地震では、日本人の持つ特性が裏目に出てしまったのだ。つまり、誰も強力なリーダーシップを発揮できないばかりか、上の指示なしには何も出来ないということが露見してしまったように思える。

それでは、三年寝太郎の能力とは何か。三年も、三年三ヶ月も寝ていた怠け者に果たしてどんな能力があるというのか。三年寝太郎の能力とは、普段はまったく役に立たない能力である。寝太郎は、ただ寝て夢を見ているのである。ただ、その見る夢は予知夢といっても良いだろう。あらゆる最悪の事態を夢見る。そして、その悪夢に対抗する手段や武器を見つける。これこそが三年寝太郎の能力なのである。

工場の第一線の技術者達は、新しい製品の開発や生産ラインについて知恵を絞る。その傍らで、まるで寝惚けてでもいるかのように、地震を研究したり放射能について研究したりしている。一線の者から見れば、まるで役立たずの怠け者である。しかし、実は日本という国には、このような怠け者が必要なのである。ロケットを打ち上げて小惑星から微粒子を持ち帰る。あるいはスーパーコンピュータの開発に鎬を削る。あるいは、津波に備えて巨大な堤防を計画する。大きなダムを作る。一見、何の役にも立たないようなことが、いざという時に役に立つ。

治にいて乱を忘れず。わたしたちは、平時に寝太郎を育てることを疎かにしてはいけない。