グランドツアー


2011/03/20 19:39


C・L・ムーアーという女流作家のSFにビンテージシーズンという傑作がある。これはグランドツアーとの邦題で映画化されたから、ご覧になった方も多いに違いない。
この作品は、タイムトラベル物である。簡単に話を紹介すると、主人公であるオリバーが経営する古いマンションに三人の男女が部屋を借りている。実は、オリバーにはフィアンセがおり、このマンションを売り払らって結婚資金にしたいのだが、それには彼らを追い払わねばならない。一方、彼は彼らの容姿や立ち居振る舞いに魅了されてもいる。
そんなある日、ふとしたことからオリバーは、彼らが未来からやってきたタイムトラベラーであり、その目的が近くこの地で起きるはずのディザースターを、隕石の衝突による町の壊滅を見るためのものであることを知るのだ。彼らがオリバーのマンションを選んだのは、このマンションが被害を免れるのみならず、この悲劇を見物するには絶好のロケーションだったからなのである。
以上が話の筋であり、エッセンスでもあるのだが、わたしは、いつもこのSFから芥川の鼻を連想してしまう。
 
おそらく、わたしが言わんとしていることを、そして何故こんな時期にこんなものを書くのかを、察しの良い方なら洞察していただけるに違いない。
わたしが思うに、人には実にいやらしい性質があるのだ。それは、禅智内供の鼻を笑う小僧や大人たちのように、他人の不幸を喜ぶという卑しい根性のことである。「鼻」の場合には、芥川の冷徹な眼により、それが実に見事に描かれている。禅智内供が笑われたのは、鼻が長かったときよりもむしろ普通になったときだったのである。

ビンテージシーズンにしても、芥川の「鼻」にしても、人間の持つおそらく生来的なものであろうこの性質を、おそらく嫉妬心が姿を変えたものであろう他者の不幸を喜ぶという性質をうまく隠し味に使っているから面白いのである。

今回の大災害により、東北の人々が大変な目に遭って苦しんでいる。福島原発が恐ろしいことになって、周辺の方々は勿論、遠く離れた東京でも放射能が降って来ぬかと心配をしている。まぁ、ほとんどの日本人がわが事のように感じていることは間違いない。
しかし、もしもこれがニュージーランドで起きていれば、どうだったであろう。やはり、それは他人ごとであり、ものの一月も過ぎれば綺麗さっぱり忘れ去ってしまうのではなかろうか。原子炉(ニュージーランドにはないが)が溶融しようと、爆発して放射能を撒き散らそうと、自分達に被害が及ばない限りは、それこそビンテージツアーのトラベラーのように、高みの見物を決め込んでいたのではないだろうか。

今、わが国には多くの国から支援が寄せられている。しかし、それぞれの国にもそれぞれの悩みがあり、そういつまでも他国のことに関わってはいられないであろう。日本は底力を発揮して再び復興を遂げるであろうが、復興が進むにつれ禅智内供のように疎まれることにならないとも限らないと思うのである。