結果がそれほど重要か

2012/09/14 03:41

昔、ある上司がわたしたちと会食中にこんなことを言った。
「・・・結果が大事なんだよ・・・、結果さえ良ければ、過程なんかどうだっていいんだ」
ディテールはともかく概ねこのような趣旨の発言であった。
わたしは強い違和を覚えた。もちろん、反論するほど愚かではなかった。ただ、余りに違和のほどが強かったので、あるいはこの発言は誘導尋問かも知れないと思った。

ところで、本当に結果が素晴らしければ、その結果を得るまでの過程がどのようなものであろうと構わないのであろうか。

わたしは、ここに引っ掛かりを覚えるのである。結果、ということで言えば、わたしたち70億の人間全員の結果はみな等しくただ死あるのみである。
それがどのような死に方であれ、死そのものはみなイコールである。死という臨界点はみなケルビン温度の0°Kと同じく、70億人存在しようが100億人存在しようがみな絶対的な0である。

そうすると、結局はやはり「結果」にではなく、少なくとも人の生き方ということについては、その過程こそが大切なのだということが自ずと明らかになってくる、と思うのである。
つまり、日常の泣いたり笑ったりという、きわめて当たり前の感情の起伏こそが生きている証であり、最も大切なものであるという結論に達する。