第二夜(羅普騾素の悪夢)

2016/11/21 22:13


尾はなし、という夢の終わり方をしたので、この夢の話がおもしろかったのか、それともおもしろくなかったのかは分からないなぁー、
などと、ぼんやり考えていたら、
It's time to wake up, you lazy bastard.
という怒鳴り声がして、そちらを見ると、わたしの机の上にロボホンのような小さなのロボットがいて、眼の周りを赤くして、どうやら怒っているらしい。
おまえは何者だ、と聞こうと思うまでもなく、何かテレパシーのようなものが伝わってきて、こいつが苦理普機という名のAIであることは、わたしには分かった。
そうか、まだ夢から覚めてはいなかったのだ。
「亀井 P 剽呂郎 氏との夢談義からまだ覚めきってはいないらしいな貴様は」
と苦理普機は、少しあざけりを含んだ口調で言う。
あのピーヒョローさんの本名はどうやらそういう名前であったらしい。
で、そのミドルネームらしいP は何かと尋ねると、
「いや、わしも実はよく知らねーんだ。だが、哲学者のPでねーことは確かだ。たぶんプラスのPじゃねーか」
などといい加減なことを言う。近頃のAIとしても出来損ないの部類に入る代物のようである。
「ところで貴様」と言うので、
「貴様」をこいつは敬語と勘違いしているのではないかと思った瞬間、
「いや、そうではない」
ときた。
「貴様には貴様で十分だ。どうせ、夢の中のひとり相撲ではないか。それに、貴殿などと呼んだら貴様も尻のあたりがこそばゆいであろう」
それは確かにそうではあるが、、、。
「ところで貴様、クワス算が形而上学だなどとほざいているようだが、なぜそのように思うのか」
ときた。
それは、クワス理論を拡張して宇宙論として考えると、
「いや、みなまで言う必要はない。つまり、この世はプラス算の世界であり、一律に最初から最後まで決まっている、そのように言いたいわけだな」
ええ、クワス算の言いたいことは分かりますが、あれはマルチバース理論ですよ。
「それでは、貴様はなんだかんだ言っても結局はプラス算論者ではないか」
というより、ラプラス論者かも知れません。
「なに? あのラプラス変換ラプラスのことを言っておるのか」
ええ。世の中の現象はすべて計算で解析できると言ったあの数学者です。
「本当にそう思っておるのか」
まさか! しかし、わたしは運命論者ですから、世の中に起こる現象はすべて決定してしまっていると思っています。
「すると、57+68が5になるはずはないと、こういうことじゃな」
現実的にはその通りでしょう。
これを否定するわけにはいきません。
「それでは量子論はどうなる。不確定性原理は間違っておるとでも言うのか」
そんな大それたことは言いませんが、「ある瞬間」が、無限の可能性の中から、たった一つだけの現実をつかみ取るのは間違いのない事実ですから。
例えば、このテーブルの上でこの五百円玉をこうして落とします。
わたしはそう言って、夢の中で五百円玉を落として見せる。
すると、銀色の光を跳ね返しながらスローモーションのようにゆっくりと回転しつつ五百円玉は落ちてゆき、テーブルで一度鋭く跳ね上がると、再びテーブルに落ちて今度は裏側を上にして波打つように回転しながらシンバルのような音を立てて、そのまま裏を上にして静止した。
今、この五百円玉は裏を出しましたが、このことも最初から決まっていた、というのがわたしの決定的宇宙論です。
「なるほど。しかし、それではよくある仮説の一つに過ぎんじゃろう」
その通りですが、ラプラスの主張では、五百円玉が表になるか裏になるかという結果Rは、五百円玉の重量、落とす高さや指の捻り、室温、湿度、テーブルの硬度や摩擦係数などといった様々な係数Cnを計算することにより予想できるというものでしたが、それでは多くの精密な測定器が必要になりますし時間もかかり実際に何もできません。
しかしわたしは、先ほど五百円玉を落としたこと自体、そしてその結果として裏が出たということ自体がこの世という計算機の計算過程であり結果であるというふうに考えるわけです。

「なるほどのう。世界シミュレーション仮説というわけじゃ」

ですから、ラプラスがこの五百円玉の動きをすべてのデータから演算して、裏か表かを決定できると言うのなら、それはこの現実という名の計算機の計算過程をそっくり模倣するということであり、結局は後出しジャンケンのような無意味な結果に終わってしまうはずです。
この世の現実が計算機の中で行われている計算過程であるとしたら、その計算過程を計算により探ろうとするほどの徒労はありません。

「貴様のその言い分とクワス算との関係はどうなる」

クワス算という無限の可能性の中から、現実はどういうわけかプラス算を選択します。まるで強い磁力に吸い寄せられるように。

「それで貴様はその理由をどのように考えるのじゃ」

あるいはそれが惑星の軌道のようなものだからではないでしょうか。

「現実もそのような軌道に乗って進行しているということじゃな」

その通りですが、その軌道は決してわたしたちの眼には見えません。軌道を見ることができるのは、この系の外に存在する者のみです。

と、声を張り上げたところで目が覚めた。