宝探しと復讐

2012/10/30 18:37


30歳くらいのころだったか、SF作家の光瀬龍の話を聞いたことがある。その話を聞きながら、ああなるへそと思ったことがあった。だから、20年以上たった今もその内容をよく憶えている。
「面白い小説というのは、結局は宝探しと復讐に尽きる」というものであった。
そこで思い出したのが、それから随分と経ってからの話だが、南木圭士さんの「ダイヤモンドダスト」に収録された「冬への順応」という中編小説である。わたし自身は、実は芥川賞を受けたダイヤモンドダストよりもこの冬への・・・の方が断然面白いと思った。
この話については以前にも書いたことがあるのだが、わたしの性格は少々捻くれているので、ああ、これは作者自身の経験に基づく復讐譚だなと感じたのである。

もちろん、わたしのような読み方をする人はごくごく少数で、大方の人は、もう少しまともな、いわば悲恋を描いたものであるとか、あるいは哀切とでもいうべき人の悲しさを描いた小説である、といった具合に感じるであろうとは思うのである。

小説の内容に少し踏み込むなら、医師である作者のもとへ、つまり作者の勤める病院に、幼馴染で作者の初恋の相手であった女性ががんを患って、しかももう余命いくばくもない状態で入院する。もちろん、その女性はそこに作者が勤めていることを知っていて、作者に最後の治療を施してもらいたくて入院するのである。
付記するなら、小説は、彼女の入院までの半生が決して幸福なものではなかったことを明らかにしている。彼女は、結婚して夫とともに外国での生活を経験するのだが、その結婚も破綻して・・・というような結果なのである。

わたしがこの小説を復讐譚であると感じるのは、実は、この二人先に述べたように小学生のころからの幼馴染で、同じ中学、高校へと進み、一年間の浪人生活を経て別々の大学に進み、それからもしばらくは淡い恋愛関係は続くのだけれども、作者は東北の大学へ、そして彼女は東京の大学へと進学し、例によって物理的な距離はやがて心理的な距離となって行き、ある日、御茶ノ水駅で、作者は手痛い別れを経験することになるから・・・、 つまりわたしは、これは日本版のwuthering hightsである、と捉えたのである。

しばらく手紙でのやり取りが続いていたある日、御茶ノ水駅で二人は会う約束をする。
しかし、その約束の日に、彼女は彼氏を伴って現れた。手紙でのやり取りの中にうっすらとその気配を感じていた作者は、その辺りのことを比較的淡々と綴っている。しかし、その内心の痛みは読む方にも痛切なインパクトをもって伝わってくる。恰も肝臓に強烈なブローを食らったようなショックを伴って。

もっとも、このような衝撃は、おそらく同じような失恋の経験を持つ者にしか理解が不能であろう。
ともかく、作者は彼女の新しい恋人に最敬礼をするという、わたしから見れば最大の恥辱を受けて別れるのである。
死にゆく彼女の姿を作者はまた淡々と、行間に深い悲しみを滲ませながら綴っていく。なんと人生とは儚く空しいものであることか。多くの読者はこのような慨嘆を抱くであろう。しかし、わたしにはこの小説の隠し味は、やはり復讐という毒であろう、と思うのである。
光瀬氏の言葉の通り、やはり小説の中だけではなく、実人生においても復讐や嫉妬心といった毒が、エッセンスが必要であろうと思うのである。