wuthering heights を読んで

2011/12/04 14:00


嵐が丘と訳されるエリオット・ブロンテによるこの作を読んでみて、改めて感じることは、やはりその一貫した上品さである。
ヒースクリフや下男のジョーゼフ、それにヒースクリフの悪意により、本来であれば地主の息子としてしかるべき教養を身につけるはずであったヘアトン・アーンショウたちの放つ言葉は余り上品とは言えない。
しかしこの作品は、悪く言えば少女趣味的に、良く言うならプラトニックに「愛」が描かれている。そして、その愛の裏側の性格としての「憎悪」さえもが美しいものとして描かれているのではないか、と思われるほどである。

これはなぜだろう? 作者が女性で、牧師の娘として生まれたためか。世の垢や悪を知らぬままに若くして亡くなってしまったせいなのか。
あるいは、テーマそのものを浮き彫りにさせるために、意識的に、不純な(?)性を排除したためだろうか。

いずれにせよ、この小説の舞台であるヨークシャーの荒地と登場人物たちの心象風景は余りに見事にマッチしている。ヒースクリフも、キャサリンも、その娘のキャシーも、エドガー・リントンも、皆この土地が育てあげた人物であるという気がしてくる。
ヒースの生える沼沢地帯。冬ともなれば地元の者でさえ道に迷って凍死するか沼に落ちて溺れ死ぬという土地柄。しかし、春になればその景色が一変し、様々な花の咲く穏やかな季節となる。

この小説の心象風景は、しかし大部分が冬である。それはヒースクリフの精神そのままである。彼の中の冬が彼の身辺の者の運命までも凍りつく季節へと誘ってしまうのである。

ヒースクリフは、幼馴染で兄妹同様に育てられたキャサリンを心の底から愛していた。しかし、一度彼女に裏切られたと知るや、その愛はたちまち激しい憎悪へと姿を変える。その憎悪はキャサリンを失ってなお止むことを知らない。キャサリンの兄ヒンドリーの息子エアトンを下僕のように扱い、本を読むことさえままならない野生児のように育てる。また、キャサリンと結婚したエドガー・リントンへの復讐を果たすためだけにその妹イザベラと愛のない結婚をしリントンを儲けるが、そのわが子であるリントンには一片の愛情をも示さない。ただ、エドガーの財産を奪うためだけにキャサリンの忘れ形見であるキャシーとリントンを結婚させ、病弱なリントンがすぐに死ぬことで目的を達成する。

しかし、ヒースクリフの末路はお決まり通り、惨めなものである。
いや、生前、墓堀人夫に頼んで、キャサリンエドガーの眠る墓を暴き、自らの亡骸をキャサリンの隣に埋めるよう画策していたという彼は、地元の者がときおりキャサリンと二人して彼がワザリング・ハイツを彷徨っているのを見る、というから、案外幸せな最後を遂げたのかも知れない。

この小説に救いがあるとするなら、それはヒースクリフに育てられたヘアトン・アーンショーとキャシーが最初は互いに憎み合っていながら、次第に親しくなっていったことであろう。
ヒースクリフは、ヘアトンが長ずるに連れキャサリンの面影を宿すようになってきたことに狼狽する。そして、実子リントンにさえ冷淡であった彼が、なんとキャシーとヘアトンとの仲にいつしか寛容を示し始める。

そして小説は、この二人がいずれ近く結婚するであろうことを予感させながら幕を閉じるのである。

確かに、これは人の持つ愛と憎悪というアンビバレンツなものを見事に描ききった名作であった。