悲母観音像 5

2013/02/26 10:21


では、ぼくは、何のために神が与えたもうたこの力を使うのか。ぼくは、椿野に、あの髭もじゃの、自分の栄達しか考えていないおやじに言ったように、この世の悲惨をもうこれ以上見たくはないから使うのだ。
ぼくは、オスカーワイルドのあの金色に輝く銅像になるのだ。そして最後には、ラジウムがそのすべての放射能を出し尽くして鉛に変わっていくように、精根使い果たして、ぼろぼろになって死んでいくのだ。そしてぼくは、その時期を12歳になったときと決めた。ぼくは、それ以上、生きようとは思わない。

ぼくがやろうとしていることは、決して世間に知られることもない。したがって、認められることも非難されることもない。ぼくはただ、全力を尽くすのみだ。手も足も出ない、頭だけが発達した、化け物のような子供が、自分の天命を信じ実行に移すのだ」

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大樹がこのような決意を抱くようになって、はや一月になる。それはある事件がきっかけだった。

その記事は、あまり大きな扱いを受けなかった。スペースにしてはがき1枚ほどの3面記事だったが、それに大きなショックを受けた大樹は、その事件についてインターネットで詳しく調べた。

事件のあらましは次のようなものだった。

28歳の母親には4歳になる息子がいた。母親は、その子を連れて夫と別れた。離婚の理由は、夫がたいした収入もないのに大酒のみで、生活費にも困るような生活を強いられたためとのことだった。

それはともかく、次の男が問題だった。男は、19歳の専門学校生だったが、母親の勤めるバイト先の飲食店で出会い、ほどなく男女の関係になった。男は、すぐに女と息子のアパートに転がり込んだ。
幼い息子は、まったく男に懐かなかった。それはそうだろうと、大樹にもその幼子の気持ちが良く理解できた。その子にとっては、母親は唯一の生きるよすがであり愛情の対象だったはずだ。それを奪われることは、その子の生存に関わる一大事であっただろう。いや、そればかりか、ネットによると、その若い男は、母親にたびたび暴力を働き、わずかな生活費まで掠め取っていたらしい。

男が母親を殴るたびに、その小さな息子は、敢然と男に殴りかかっていった。身長1メートルばかりの、男の腰の高さにも及ばない幼児にとって、それは巨大な怪物を相手にするようなものであったに違いない。そのたびに、その子は容赦なく殴られ、蹴られ、小さな身体は痣で豹のようになった。

しかし、母親は男の暴力に怯え、阿るあまり、そのようなわが子を庇ってやることさえしなかった。そうして、さんざん大暴れしたあげく台風のように過ぎ去った男は、たまたまギャンブルで多少の金を手に入れて舞い戻ってくると、人が変わったように穏やかになった。歯の浮くような優しい言葉を母親にかけ、これ見よがしに息子の目の前で抱いた。母は、幼い息子の前でメスの喜悦の声を上げた。

4歳の幼子にも耐えられる限度があった。彼は、母親が余り布で作ってくれた小さな青いリュックに自分のすべての財産を詰め込んだ。彼は、家出のために必要なものを、幼い頭で精一杯考えた。ぶつぶつとひとりごとを呟きながら、お気に入りの赤い車のおもちゃと一袋のマーブルチョコレートと、細い小さな指で母親が街でもらったティッシュの袋を一杯に詰め込んだ。そのときに彼の頭にあったのは、父親ではなかった。父親は、彼をとてもかわいがってはくれたが、もはや少しも彼の力にはならなかった。彼は、父親の顔を思い出すことさえできなかった。その代わりに思い出したのは、母親の父、つまり祖父のことであった。

祖父は、この小さな孫のことを大変気にかけていた。生活に行き詰った娘が金をせびりに帰って来るたびに、金は与えてやっても碌に口も利かなかった祖父だが、この不憫な孫には滲み出るような肉親の情愛を示した。

幼子は、母の実家に帰るたびにこの祖父のことをじぃじと呼んで後を追い掛け回していた。両足の股関節が悪い祖父は、歩くとき酷い蟹股になった。しかし祖父は、その不自由な足にもかかわらず、孫を胸に抱き、釣竿を片手に大きく肩を左右に揺らせながら近くの川によく魚釣りに出かけた。
幼子は、この大好きな祖父のところに行こうとしていたのだ。
しかし、彼の計画は、当然のように失敗に終わった。彼にはそもそもお金がなかったし、仮にあったとしてもその使い方を知らなかった。近くの駅まで歩いていったまでは良かったが、そこから改札に入ることが出来ず、すぐに近くの交番から警官が呼ばれることになった。

警官は、交番までその子を連れてくると、一応事情を聞いた。しかし、若いその警官は、小さなその子の言うことを十分に理解できないばかりか、身体のあちこちに痣があることさえ見逃した。

そして、ついに悲劇が起きた。その日、男がスロットをやる金欲しさに女を殴った。小さな息子は、それを見て泣きながら男に殴りかかっていった。男は、いつもにまして激しく幼子を殴り、そしてとどめの一発とばかりにその腹を蹴った。幼子はぐっというような奇妙な声を上げて吹っ飛び、泡を吹いて倒れた。みるみるうちにその顔から血の色が失われていった。

大樹には、この母親の気持ちがまったく理解できなかった。なぜ、こんな下らない馬鹿な男と……。大樹には、この母が男以下の馬鹿な女としか思えなかった。
確かに猿やライオンが子殺しをやることは知っている。それは、長い間繰り返されてきた種の保存を巡る戦いの一環なのであろう。
したがって、自分の血を引かぬ幼子を殺したからといって、この若い男を畜生以下と罵ることなどできないかもしれない。この世には人間の作った法の上法があるのだ。それは、人間の善悪観や正義などを嘲笑うかのように、厳然と存在して決して揺るがない。そして、母親はすでにこの法により罰を受けた。
だが男の方は、僅か1年の鑑別所生活を送れば、再び娑婆でのうのうと暮らしていくことができるのだ。
大樹は、天の法に照らして男の行為が果たしてどのような罪に相当するか、このことを深く考えてみた。
もしもこの男に天誅を下すとすれば、それは、天の意志を精確に自分のものとしてからでなければならない。そして、それは、ぼくが生まれてきた意味を問う最初の一撃になるだろう。