今日の迷言:2月26日

2015/02/26 10:44


狼はハードでなければ生きていけない。ジェントルでなければ種を保存できない。

フィリップ・マーロウのセリフをもじっただけのごく当たり前の真実である。
野生の世界では肉体的にも精神的にも強いものだけが生き残り、そして種の保存という重要な行為の実施に与れる。

犬は家畜化された狼であるが、それでもまだ狼の血を色濃く引き継いでいる。
その犬は、とても愛情の深い生き物であることはよく知られている。そしてこの愛情の深さが狼から引き継いだものであることを疑う余地はない。
ときに人に噛みついて新聞種になることもあるが、新聞種になる点では、もちろん人間の凶暴な行為の方がはるかに多い。

犬の愛情は、自分の帰属する群れへの愛情である。この点において、昔の武家社会は狼や犬の社会と似ている。
いや、現代のわたしたちにしても、結局は、本質的には、この点で封建主義社会と大きく違っているわけではない。

わたしたちは国家に属し、地方自治体に、そして会社や家庭に属しており、大抵はそれぞれの、己の属する集団に愛情を抱いているはずである。

狼や犬の群れは、もちろん国家にも自治体にも属さないが、血縁による社会を形成している。濃淡の違いはあるにせよ、まったく血のつながらない群れはまず見られない。
仮に一匹狼のような個体が群れに迎え入れられたとすれば、いずれはその個体の血を引く群れが形成されていくであろうし、その血を伝えていけなければそれまでのことだからである。

犬は、自分の属するものに素直な愛情を抱く。自分の群れのアルファたる人間はもちろん、そのアルファが飼っている猫や猿にさえ愛情を持ちこれを守ろうとする。

何が言いたいか。ハードとソフト、タフさとジェントルさは一対のものなのである。

日本人は日本を愛する。日本人であってもわが国を愛さない者もいるが、それは論外のことである。
日本を愛する愛し方に違いはあるかも知れない。しかし、上に述べたように、タフさとジェントルネスは一対のものである。わが国を心から愛するということは、これは国民と国土はもちろん、歴史というわが国を育んできた時間を、そしてわれらが先祖をも愛するということ、自分の中を流れている血を愛するということに他ならない、とわたしは考える。

その愛、ジェントルネスのためにはタフネスが伴わなければならないということであり、タフネスとは、単に国防力に止まらなくて、いましきりに中韓が仕掛けてきている歴史認識をめぐる論戦などにも果敢に立ち向かっていかねばならない、ということなのである。