今日の迷言:2015.09.23

2015/09/23 13:13


きんもくせい、おれもくせえし、みなくせぇ

金木犀の匂い立つ秋がやってきた。わたしは、初めてこの匂いを嗅いだとき、大げさではなく、天上からの匂い、と感じた。ところが、金木犀とトイレ(というより便所か)とが切っても切れぬほどの縁だと後から知って、ほとほとがっかりした。思いを寄せていた女に男がいることを知ったときのような脱力感である。

このような例は数え上げればいくらでもある。例えば枇杷である。これは千葉の銚子の方の名産らしく、銚子に住む人からお土産でもらって食べたことがある。金木犀の花と同じ色をした実なのだが、これが甘酸っぱくてとてもおいしいのだ。
ところが、この枇杷と言う植物も実はあまり有難がられない。何故かというと、枇杷の実割れといって、実が二つに割れてしまうので、実割れは身割れに通じるとか縁起を担いで嫌うのだそうだ。

スルメだってそうである。擦るを嫌ってアタリメなどと呼んだりする。髭を剃るも、剃るとか擦るじゃ縁起が悪いと当たるという人がいたりする。日本人というのは、本当に験を担ぐのが好きである。
病人の見舞いに鉢植えの花は根付くからといって敬遠されるが、切り花だとあまり日持ちがしない、ということは考えないのだろうか。

正月のおせちだってそうだ。レンコンはやれ先の見通しがいいからとか、昆布はよろコブに通じるからとか、鯛はめでタイだとか、いい加減なダジャレばかりじゃないか、と自他ともにおしゃれを認めるわたしでさえ辟易してしまう。

せっかくの金木犀がせいぜい一週間か二週間ほどの短い間、わたしたちのためにではないであろうが、それこそ天からのような香りを振り撒いてくれているのである。夏に蝉が声を嗄らさんばかりにして鳴いて一生を終える、それと同じように、わたしたちもせめて、実りの秋が来たことを知らせてくれる金木犀に感謝をしようではないか。