電力の行方

今年三月に東電の電力が逼迫した。来冬にも同じことが起きそうだという早くからの予想である。

いったいなぜ、と考えるまでもない。原子力が止まったからである。

原子力が止まってサステーナブルとか横文字で一見カッコいい言葉が流行り、小泉だの菅だの日本を壊したくてしようがないんじゃないかとさえ思わせてくれる元総理経験者たちが太陽光の普及に全力を注いだせいである。

お陰で我が故郷の山は削られ醜い太陽光パネルで覆われてしまった。

これほど馬鹿な失政はあるまいと思う。話は極端にすれば馬鹿にもよく分かるので、こう想像してみたらどうか。山という山、谷という谷、全てを、日本中をソーラーパネルにしてしまうのだ。

沈黙の春」が、鳥も鳴かない、虫も鳴かないカジカも鳴かない、そして年中豪雨による災害が絶えない日本列島に訪れるであろう。

EVの時代が来る? なら、なぜ原子力を再稼働させない。夜に充電して昼に走らせるのであれば、原子力がもってこいではないか。

原子力は危険? 太陽光を作るのに盛り土をして土砂災害を起こし多くの人を死に至らしめたのは何処の行政だったか? おそらく不当な圧力をかけて行政を脅し図面もなしにOKを出させた業者だか土地の所有者だかがもっとも罪が重いのは間違いないとしても、それらの業者から何を約束されたのか知らないが、太陽光、太陽光、お日様さまさまと、原子力利権から太陽光利権へと乗り換えを図った小泉、菅の罪はもっともっと大きい。

彼らは今こそ原子力反対、ソーラー賛成と声を上げるべきと思うのだが、いったいどうしたのか、すっかり声が聞こえてこない。

不要になっていくであろうソーラーパネル、いったい撤去は誰がやることになるのだろう。もしも税金が投入されるなら、みなさん小泉と菅のやったことをしっかり思い出してほしい。

そして、ソーラーにも原子力にも薄汚い、まったく自分の身のことしか考えない卑しい奴らの利権の闇があることにも考えを巡らせてほしい。

本来であれば純粋な科学技術と国民の真の幸福だけを願う行政が一体となって進んでいけば素晴らしい国になるはずの我が国には、何か妖怪のような薄汚いものが潜んでいるようなのだ。