恋と洗脳

前にも書いた通り、宗教は麻薬である。この点は、共産主義者は正しかった。マルクスは宗教の本質を見抜いていた。

ただし、麻薬とは言ってもサブスタンシャルなものではない。おそらく、物質には違いないが、外部から与えられるものではなく、いわゆる脳内麻薬というやつで、既にこの辺りのことは脳学者たちによって研究し尽くされているのではないだろうか。オキシトシンとかエンドルフィンとかいったものが思い浮かぶ。

わたしが思うのは、この点において、宗教は実に質が悪い、ということである。

例えば、誰かがアヘンを持っていて、これを自分の彼女に使えば犯罪である。自分の虜にするためにそのようなことをする輩も少なくはないであろう。

オウム(真理教などとは呼びたくもない)にしろ、この度の統一教会にしろ、どのような方法で信者を洗脳するのか、多分、それは秘中の秘的な技術を用いるのであろうが、脳の機能が比較的優秀なものたちが罹りやすいように思える。

というよりも、そのような、脳が優れたものたちは、一般的には財産もあるであろうし、ターゲットにされやすいということもあるであろう。

つまりは、宗教という名の法律で守られた権利を自由自在に如意棒のように使って人をたぶらかせているのが全ての宗教の共通項であり、その突出したものがオウムであり統一教会であったということなのだ。

タイトルを恋と洗脳としたのは、生き物というのは、植物も含めて皆、ある種の化学物質により、生存のための二大本能を制御していると思われるからである。

人間が恋と呼ぶものも、元をただせば結局は生存本能に基づいたホルモンの成せるワザであり、つまるところ宗教の洗脳と何ら変わらない。

宗教は、自身の生存のために、洗脳という名のホルモンを使わざるを得ないのだ。