ドラキュラの愛

2011/06/10 23:20

コンピュータは将来感情を持つことができるだろうか、というようなことを考えていると、自然感情とは何かという疑問が生じてくる。
植物には心はない。これはゲーテが言った。しかし、そんなはずはない。植物にないとするなら、蝿や蚊やゴキブリはどうなのか。彼らの動きは極めて機械的でまるで精巧なコンピュータを備えたロボットのようにも見える。では、このロボットに感情はあるのだろうか。

例えば蚊。こ奴は、実に血を吸うことに長けている。さすがに恐竜の時代から血を吸い続けてきただけのことはある。ぶーんと耳元で唸ったので慌てて両手で叩こうとすると、見事に掌の間をすり抜けて、目にも留まらぬ速さでどこかに消えてしまっている。
そして、それから数分間は大人しく、まるでタイマーが体内に仕込まれているかのように襲ってはこない。そして、こちらが忘れてしまったころ、いつの間にかまた忍び寄っている。

少なくとも、蚊は叩かれ殺されることを嫌がっている。だから恐竜が滅んでもジュラ紀を生き延びることができたのである。
また、蚊の雌はドラキュラのようにいつも血に飢えているが、それは産卵にアルブミンが欠かせないからである。つまり、蚊の雌は子孫繁栄のために、常に生き血を求めているのである。

結局、これが感情の原型なのだ。自らの遺伝子を先に繋いでいくために備わったプログラム、それが感情の基本にあるものなのだ。
そう考えてみると、わたしたち人間の感情とてなんのことはあろう。喜びも哀しみも怒りも、どうということはない。ただ、生き残っていくための、自らの遺伝子を先に伝えていくための、蚊などと比べると少々複雑ではあるが、所詮プログラムに過ぎないのだ。

崇高とされる愛にしても大したことはない。蚊にさえ愛はある。その愛ゆえに彼女らは血を吸うのだから。