The eagle has landed

2010/05/10 15:05


もう30年近くも昔のことになる。ジャック・ヒギンズの「鷲は舞い降りた」に痺れたことがある。

これは、映画化もされ、ジョン・スタージェス監督の遺作となった。リーアム・デブリン役は、ドナルド・サザーランド。スタイナー中佐役はマイケル・ケインだった。
小説の中ではデブリンは小男であるのに映画では随分大きな男に変わってしまっていた。しかし、映画が必ずしも原作に忠実に作られないのはむしろ当たり前のことだから、小言は言うまい。

この小説は、なんと言っても書き出しがいい。ざっと、こんな具合だ。

教会の屋根付き門を潜ったとき、誰かが墓地の片隅で穴を掘っていた。わたしは、このシーンを、それに続く一連の出来事とセットで極めて明瞭に憶えている。
墓石の間を縫うようにしてわたしがその墓穴に歩み寄ったとき、5、6羽の鴉が一続きの黒い襤褸布れのように教会の西のブナの木からお互いを罵りあうような鳴き声を立てて飛び立った。わたしは、風に煽られた雨を防ぐため、トレンチコートの襟を立てた。

「鷲は舞い降りた」は、第二次大戦中のドイツ特殊部隊の話である。舞台は、イギリスの片田舎。「わたし」すなわち著者であるヒギンズによれば、一度そこに立ち寄って次に訪れようとしても果たしてそんなところがあったかどうか自問自答せざるを得なくなるような、スタドリー・コンスタブルという小村である。

その村をチャーチル首相が休暇で訪れるという情報がドイツ軍にもたらされる。それを聞いたヒムラーは、マックス・ラードル中佐にチャーチル拉致の作戦を計画するよう指示を与える。

実は、ヒムラーとラードルの上司であるカナリス提督は、それより以前のある日、ヒトラーから思いつきのような命令を受けていた。それは、オットー・スコルツェニーによるグラン・サッソーからのムッソリーニー救出作戦成功にヒトラーが気分を高揚させているときに口をついて出た言葉であった。

そこは、ヒトラーの東部戦線における狼の巣の中で、ムッソリーニー自身が同席していた。
ヒトラーは自らが創案した救出劇の成功にご満悦で、少々興奮していた。

「・・・わたしのためにイギリスからチャーチルを連れてくるくらいはいつでも可能ではないのか」そう言って一人一人を見渡したとき、息を呑むような静寂が訪れた。
「そうは思わないのかね」

ムッソリーニは落ち着かない様子だったが、ゴーベルは勢いよく頷いた。ヒトラーの火に油を注いだのはヒムラーだった。
「その通りです、閣下、何の奇跡など必要がございましょう。あなたがグラン・サッソーから同士を救出されたことが何よりの証拠です」

このような経過を踏んで、ヒムラーは巧みにラードル中佐を利用し、カナリスの頭越しに作戦を計画し遂行する。

この作戦の実行部隊指揮者に選ばれたのが、ヒムラー曰くところの「ロマンティック・フール」ことクルト・シュタイナー中佐であった。

冒頭に戻るが、この小説は、「わたし」が取材のためにチャールズ・ガスコインという船乗りの墓を訪ね歩いていたときに、偶然この村の隠されていた歴史を発見する。そこからストーリーが展開していくのである。

作者である「わたし」が墓地を探っていくうちに、一枚の平たい墓石の下に現れたのは、鉄十字章とともにドイツ語で次のように刻まれたもう一枚の墓石であった。
「クルト・シュタイナー中佐とその麾下13名のドイツ落下傘部隊、ここに戦死す。1943年11月6日」

お気づきのように、この作品では、現代と過去がスタドリー・コンスタブルの教会墓地を軸に対称になっている。
そのために、フィクションに過ぎないこの作品は深い陰影を帯び、読者には一度も行ったことのないはずの土地に懐かしささえ覚えさせるという奇妙な効果まで与えている。
わたしは、これがこの小説がベストセラーになった要因の一つと思うのだが、この続きはまた後日。