今日の迷言:2015.08.11

2015/08/11 14:33

原発よりも種の絶滅という状況を止めねば!: 本日、川内原発がいよいよ稼働可能になった。地球温暖化の見地から考え大変にありがたいことである。

ところが先週の金曜日、首相官邸前を歩いていて、例の原発稼働反対派のばあさん、じいさんたちが集会の準備をしている場面に出くわした。そして、ばあさんの一人が「いっそ、川内原発の前で焼身自殺してやろうかしら」と聞こえよがしに言うのが耳にとまった。

「ばかをいえ」と心の中で呟きながら通り過ぎたのだが、およそ左巻きの連中で、その思想の為に自死を遂げた者など一人としていない。「だから、ばあさん、本気ならやってみな。しかし、その前にその干からびた脳みそに少しでもまだ理性というものが残っているなら、原発が動かなくなったことで、どのくらい日本が排出する炭酸ガスが増え、そのためにどのくらい希少な動植物が絶滅していっているかをよく考えてみろ」

この時代は、生命が地球に誕生して以来6度目の絶滅期であると言われている。先の5つの絶滅はすべて大隕石の衝突、つまりディープインパクトによるものであった。しかし、今回は、この地球に誕生したたった一つの種の為に、その他の多くの種がすでに絶滅してしまったり、いままさに絶滅の危機に瀕しているのである。

日本の電力構成は、311以来大きく変わった。4割を占めていた原発がほとんど0になり、その代わりに石炭火力やLNG、NLG火力が増えた。特に石炭火力の場合、その燃焼成分の大部分が炭素によるものであるから、これまでほとんど炭酸ガスを排出しなかった原発と比べると、その排出量が途方もなく大きくなっていることが分かる。さらに家計の負担が増大し、国家の富も失われていくばかりである。

先のばあさんの例を上げるまでもなく、あまりに自分たちの都合ばかり考えてきたのが人類の歴史である。
原子力というのは、もちろん使い方を誤れば人類に災厄をもたらす火である。そんなことは日本人なら当然に知っている。しかし、だからと言って核爆弾ではなく原子力発電を非難するのはお門違いというものである。

原爆や水爆は、原発とは違って、為政者次第でいつでも火を噴く代物である。あるいは、核テロリストによって明日にでもどこかの国で爆発が起きるかも知れない。であるのに、なぜ彼らは中共北朝鮮を批判しないのだ(彼らの息でもかかっているのか?)。

そんなに大騒ぎしなくとも、原発はいずれ近いうちになくなる。いや、なくならねばならない。なぜなら、人類の知恵は、きっと核融合炉を完成させるであろうから。それまでのリリーフとして原発は、この日本になくてはならない必要悪なのである。