創造性について

2011/05/06 23:08


ヒトの持つ特性の一つに創造性ということがある。これはコンピュータに可能だろうか。創造性とはそもそも何かということが問題になるが、単に何かを利用する、ということであればヒト以外の高等生物でも可能な気がする。たとえば、オランウータンが雨を避けるために大きな木の葉を頭上にかざすのもそうだし、チンパンジーが小枝を木の小さな穴に差し込んで蟻を釣り上げるのもそうだ。

人間の創造性はしかし、これらよりはるかに次元の高いものである。
たとえば、アインシュタインは二つの相対性理論を唱えた。これは、彼の素晴らしい創造力によるものである。アインシュタイン以前の人々は、時空という概念を持たなかった。時間と空間はまったく別のものであろうとぼんやり考えていたのである。ところが、時間と空間との間にはアインシュタインによって一定の制約があることが分かった。また、空間が重力によって歪められることも分かった。
いったいなぜ、アインシュタインはこのようなことを考え出したのだろう。そこにはどのような動機があったのだろうか。彼は名誉に与りたかったのか。それとも金が欲しかったのか。あるいは、その両方が動機であったかも知れない。しかし、仮にそうであったとしても、そこには人類に共通する何か他の欲求が隠されていたことは間違いない。仮にこの欲求を真実の探求ということにしよう。
それでは、この真実の探求という欲求はなぜ起こるのだろう。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可也」と孔子は言った。この「道」を真実に置き換えれば、これはもう人類共通の死をも越える欲求であると言うことができる。

真実の探求という人間に基本的な欲求は、ここでも分かる通り、死すべき存在としての人間がそのベースにある。人は自らが遠からぬ将来に死ぬことを知っている。そのことが、一方では神を求め、また一方ではアインシュタインのように宇宙の真理を求めるのである。

果たしてコンピュータに創造性を持たせることは可能か。それは、やはりコンピュータに感情が芽生えぬ限りは見果てぬ夢に終るであろう。いつかコンピュータが己の創造主に思いを馳せることが出きるようになったときにこそ、それは実現するであろう。