昨日のつづき

2011/07/19 20:12


後藤忠政氏は、現役時代、様々な事件に関係している。創価学会の池田会長(当時)を拳銃で脅しまわったり、武富士の上場を実現させたりと、実に忙しくわが国の闇の社会を動かしていた。有名な伊丹十三襲撃事件にも関わっていたし、真珠宮ビルを巡る電磁的公正証書原本不実記載の罪で拘留されてもいる。要するに武闘派であると同時に経済やくざ、すなわち知能犯的な面も持っていたということである。一時はJALの個人筆頭株主でもあった。

しかし、ここではそのような犯罪については述べない。もっと面白いエピソードがあるので、それについて書きたい。

後藤氏は、背中に抱き鯉だったか昇り鯉だったか3ヶ月も掛けて刺青を入れたというが、医学的に見て、刺青は非常に危険な行為である。氏も述べている通り、氏自身が刺青が原因で肝炎を患い、また肝炎から肝硬変、そして当然のように肝がんへと移行した。氏の言によると、やくざの死因の3割が肝臓病によるものだそうだが、宜なるかなである。刺青が原因でC型肝炎に感染するリスクは注射針の使いまわし同様に非常に高いのである。

ところで、この肝がんのために氏は肝臓の移植を受けることになるのだが、この辺の事情についてはオブラートに包んだように書かれているようにわたしには思える。そう考えるのは次の理由からだ。

肝臓移植を日本で行うことは当時ほとんど不可能だった。当時と書いたが、この状況は今でも余り変わらないのではないかと思う。
臓器移植には免疫による拒絶反応がつき物だから、これを抑える為にはドナーとレシピエントのHLA(白血球のもつ組織抗原性)型が一致しなければならない。しかし、その一致する確率は、政治家の河野洋平氏が息子の太郎氏から生体肝移植を受けたレアなケースもあるにはあるが、兄弟や親子の間であっても非常に低いのだ。したがって、生体肝移植が出来ないとなれば、事故などで脳死状態になった赤の他人にドナーを求めるより他にない。しかし、そのようなドナーが見つかるケースは、国内においては奇跡といっても良かった。
結局後藤氏はアメリカで肝臓移植手術を受けることになったのだが、この話のエッセンスは実はここにある。それは、本来であれば後藤氏がいくら金を持っていようと、アメリカで手術を受けるなど不可能だったからである。当時、日本のやくざはアメリカの厳しい取締りを受け、入国すら許されてはいなかった。ましてや、肝臓の移植のために治療を行うことなど有り得なかった。
しかし、後藤氏はこれを実現させた。なぜそのようなことが出来たか? この疑問符がエッセンスなのである。ところが、その答については、氏は本書で詳しく語られていない。いや、一見包み隠さず書かれているように見えなくもないが、やはりそこには何か大きな欠落がある。先に書いたように、何かの劇薬をオブラートに包んでいるのである。
だが、そこに何らかの政治力が働いたであろうことは容易に想像できる。誰か大物政治家が後藤氏のために動いたことは間違いない。日米間で何らかの取引が行われたことは間違いがないのである。そして、そのことにより、後藤氏は本来であればとっくに鬼籍に属しているはずのところを、今でも精力的な活動をすることができる。
いろんな見方ができようが、わたしは、氏は自らの力で死を乗り越えたのだと考えている。それほどまでに氏の生命力は強かったのである。

この続きはまた明日。